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メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の四大文明は大河の流域に発祥しました。また、そこは塩の採取できる地が近くにありました。水と塩は人が生き、文明を築くために不可欠なものだったのです。
「すべての道はローマへと通ず」といわれた古代ローマですが、最初に造られた幹線道路はピア・サラリア(塩の道)でした。塩が採れた町からローマに塩を運ぶための道路でした。
塩の道は、世界各国、日本にもたくさんありますが、塩によって道が造られ、その道によって文明が発達した名残でもあるのです。

塩はまた、貨幣としても使われました。古代ローマ軍は兵士の給与を塩で払ったといわれ、今、給与のことをサラリー(ラテン語/サラリウム)というのはそこから来たといわれています。塩の字がつく土地の名前や苗字が日本にはたくさんありますが、ドイツのザルツブルグは「塩の城」、ハルシュタットは「塩の町」という意味で、外国にも塩がつく土地の名前がたくさんあります。

塩は生きていくために不可欠なものであったので、税金の対象にもなりました。いわゆる塩税です。中国、フランス、イギリス、ドイツなどの国々が国家財政の中心に塩税を取り入れて、特に独裁制は塩の力によって維持されていたといわれています。しかし、生活に不可欠な塩への課税は大衆の反感を買い、一揆や暴動の原因ともなりました。

ガンジーの「塩の行進」は、塩のちからで国を独立させた話でもあります。
イギリスの植民地支配に苦しむインドの指導者ガンジーは、塩の専売廃止と国の独立を掲げて運動の先頭に立ち、一九三〇年四百キロ先の海に向かって歩き始めたのです。行進の間、次々と支持者が集まり一か月後には約六万人の行進となったと言われています。行進が海に到着すると、イギリスは塩を採る人々を弾圧しましたが、ガンジーは無抵抗を訴えました。

やがて、世界のニュースとなり国際世論にも後押しされ、塩の製造が許可され、一九四七年ついに独立をも勝ち取ったのです。

戦後の産業の著しい発展にも塩が大きな役割を果たしています。日本で塩が食品として使われているのは、塩全体の十数パーセントで残りは化学薬品、アルミニウム、パルプ、セラミック、プラスチック、ロケットの燃料、エレクトロニクス技術、光ファイバーなどの工業用に使われています。

食用塩については、自然塩の製造が禁止され、イオン塩が専売されていましたが、約十一年前に自然塩復活運動などにより専売制が廃止され、自由に塩を作ることができるようになりました。しかし、様々な塩が出回り、産地や、品質表示偽装など多くの問題が浮上しています。生産者の一人として塩に対する信頼を得るため、情報を分りやすく正確に伝えることが大切であると、今年は、この問題にも取り組んでまいります。


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