No.264








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●わが家のちっぽけな庭にも、年毎・春毎に種類の異なる雑草がやって来ては蔓延する。どういう事情でそうなるのだろう? ある年はそれが母子草であったり、またある年はそれが繁縷(ハコベ)だったりする。母子草(ハハコグサ)なら(もちろん餅草としても利用できるのだが)儂の場合はもっぱら観賞用に残して愛でる。繁縷なら「コラッ」と毟り取ってしまうことが多い。ある日のこと、繁縷を毟(むし)りながら、その一摘まみを何気なく口に運んだ。なんとも涼やかな香気が口中に…いや五臓六腑へと沁みわたった。ちょっと嬉しかった。さっそく蕎麦を茹でて、その上を飾った。さらに味噌汁に浮かせ、オムレツにも投入してみた。繁縷なぞというものは、道端にでも何処にでも、やたらにべたべたと繁茂する雑草中の雑草だから、春の七草の一つであることは頭の片隅にあったとしても、食材として意識することなど、かつて一度もなかった。ゴメンナサイ…である。イケルぞ…と分かればゲンキンなもので、粥の中にも投入したり、胡麻だれや酢味噌や辛子や裏漉(うらご)しの豆腐で和えたりもする。物数寄といえば物数寄に違いないのだが、物ついでだから藜(アカザ)・白藜(シロザ)・薊(アザミ)・露草(ツユクサ)・酢漿草(カタバミ)・嫁菜(ヨメナ)・ドクダミ・菫(スミレ)・蒲公英(タンポポ)・蓮華草(レンゲソウ)・スベリヒユ・大葉子(オオバコ)・野豌豆(ノエンドウ)・薺(ナズナ・ぺんぺん草のこと)等々、あまり食べる人もない雑草たちを片っ端から食べてみるのも一興かと思う。どれもみな、思いの他食える植物なのだ。ビニールハウス等で栽培され、きれいにパックして売られているものだけが野菜である…と思い込んではいないだろうか? 鳥獣も魚貝も植物もみな、天然に生育したものたちはすべて、飼育・栽培されたものにはない強い精力がある…とするのが、古来からの常識のはず。

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