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昭和三十年代から始まった高度成長の時代は、「三種の神器」がブームになり、巷にモノがあふれ、世界中の食べものが手に入るという「飽食の時代」でした。そんな大量生産、大量消費はその反動として食についても様々な問題を噴出させました。

「朝食の欠食」、「個食」その結果として「すぐキレる子」「家庭崩壊」、さらに「肥満児」、最近では「メタボ」などの言葉に象徴される社会現象を生んだのです。さらには、「食の偽装」「食料自給率」の問題も食の安全を脅かしています。

そこで、国が考えたのが「食育基本法」でした。その概要は「食育は、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの、様々な経験を通して「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することが出来る人間を育てる」というものです。
この「食育」という言葉を日本ではじめて使ったのは、今から百年以上も前の明治時代、軍医で薬剤師であった石塚左玄(いしづかさげん)です。

栄養学がまだ学問として確立されていない時代に「体育、智育、才育は即ち食育なり」「神様と思われん人を作るには親の親より食を正して」と食育を提唱しました。彼が食養生の基本とした六つの考え方を簡単にご紹介します。

一、食本主義 食物が人間を作っている。したがっ て食物で病気を治すことが出来る。
二、穀食主義 人間は穀食動物である。
三、身土不二 人間もまた自然の中で生かされて いる。地元の旬の食物をとること。
四、一物全体食 植物は葉も根も皮もすべてひと つのもの。残さず全体を食べることで栄養の バランスが取れる。
五、陰陽調和 陰陽のバランスをとる事で、自然 環境に適応し、病気を未然に防ぐ。
六、三白追放 白砂糖、白米、白パンなど精製さ れた純度の高い食物をとらない。
(「化学的食養長寿論」より)


沖縄の食事は昔から、陰陽調和を基本に考えていました。私は塩を作る立場から、百年も前に石塚左玄がミネラルに注目し、陽性のナトリウムと陰性のカリウムのバランスが崩れると病気になるという考え方に驚かされました。ナトリウムの多いものは動物性食品で、カリウムが多いのは植物性食品とし、これらをバランスよく食べることが健康を保つ秘訣であるとしたのです。
塩について言えば、昭和四十六年に専売となった食塩は、ミネラルを含まないナトリウム九十九%以上の化学塩でした。それに対して多くが参加した自然塩復活運動によって、今から十二年前、塩の自由化を勝ち取り、ミネラルを含んだ健康に良い塩をつくる事が出来るようになったのです。これは、わが国の伝統的な優れた食文化を甦らせた成果のひとつであり、ミネラルを含んだ塩は食育に大切なバランスの象徴でもあるのです。


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