No.265








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●花見の前夜、花の樹下にブルーシートなどを敷いて、場所取りをするとしよう。シートの真ん中に酢飯を盛った半切りを据える。犬や猫や狸に食われぬように、若手の山賊に(焼酎でも呷りながら)しっかり不寝番を務めてもらう。翌日、儂らがお重を抱えて到着するころには、自動的に〈花吹雪ライス〉が仕上がる…という寸法だ。実行したことはない。原稿用紙を前にペンを持ったら突然思い付いただけ。ただし、塩漬けの花を梅酢を効かせた飯に混ぜ込んで握るオムスビは、わが家の定番である。以前にこのコラムに記したヨーグルトを使った〈すみれそば〉も、毎春の恒例だ。ヨーグルトといえば、最近はキチンペーパーで一昼夜水切りして使うことが多い。トーストにジャムと重ね塗りにしたり、やはり以前に書いた〈儂流のかぶらずし〉に使うと断然旨い。それはともかく桜だの菫(すみれ)だの…和食にはこういう小さな花がよく似合う。小さくても凄い。「花なんか食べて旨いのか?」って、そりゃあ別に美味しくないですよッ。ただ季節季節の彩りがアリガタイ。花々の生気・霊気をわが血肉に取り込むわけである。花に限らず、生あるものを食うということはそういうことなんだと思う。▲桜並木の土手の上を、自転車に跨がって、犬を連れて走る。斜面に屈み込む人がいる。「何かありますか?」と儂は声を掛ける。彼女たちは驚いて見上げ、すこし間を置いてから「野蒜(のびる)…」とか「蓬(よもぎ)…」などと答える(最近は見ず知らずが声を掛け合う風が廃れたから、変な顔をされてしまう)。土手を飾る小花たちを摘む人はいないらしい。山で山女は「ちょっとお花摘みに…」などと小声で告げて姿を消すが、やはり何も採らずに手ぶらで戻ってくる。

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