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「なぜ塩作りの道に入ったのですか」とよく聞かれますが、私は「塩作りが好きだから取り組んできたのではなく、与えられた使命が塩作りだったのです」と話します。

私は幼い頃から体が弱く、玄米などの自然食サークルに参加したり、ヨガの道場に通っていました。そこで「本物の塩」が人間の体にとって大切であることを知ったのです。しかし、その頃には本物の塩は、沖縄から消えてしまっていました。

それから間もない一九七三年夏、自然塩復活の夢を持った全国の有志たちが沖縄に集まり、私もそれに参加したのです。その時、私の人生を決定付けた、自然塩復活運動のリーダー、谷 克彦さんとの出会いがありました。そこから共に自然塩作りの研究、実験が始まり、やがて、谷さんの塩作りの究極の目標が「本物の塩を世界中の人に伝えていくこと」であることを知ったのです。その瞬間に、私の使命も決まったのです。

「本物の塩を世界の人に」を実現させるため、私は二〇〇四年にイタリアで開催された〈スローフード世界大会〉に参加し、世界中から集まった人々に本物の塩作りを伝える講演をしました。その翌年には、米国で開催された〈国際貿易展示会〉に「粟国の塩」と「にがり」を展示し、説明しました。さらに昨年は、ロスで開催された日本領事館肝いりの〈ジャパニーズフードアンド酒フェスタ〉に参加し、そして今年三月、昨年に続き同フェスタに参加したのです。

大不況下にもかかわらず、日本食への関心は高く、政府関係者、メディア、食品商社、レストラン経営者など千人を超える人が集まりました。そこでが行われた日本料理のデモンストレーションでは、すべての調理に「粟国の塩」が使われ、有名シェフたちから「料理の質が上がる」などの賞賛をいただきました。中でも、ハリウッドスター御用達といわれる日本食レストラン「Kathuya」の上地シェフからは「粟国の塩は味や力もさることながら、そこには作り手の心や生き方があり、それが素材を引き立てている。私は塩を使っているのではなく、作り手の心を使って料理をしているのです」と、塩作り職人冥利に尽きる言葉をいただき、一流料理人の凄さに衝撃を受け、今後も塩作りに研鑽と努力をすることを心に誓ったのです。

今回のイベントでは、健康に良い塩と「にがり」、そして日本の「医食同源」の考え方を多くの参加者に伝えることができました。日本にはたくさんの優れた食品があり、その背景には優れた多くの作り手がいます。日本の優れた食品や考え方をもっと積極的に世界に発信していくことが大切ではないかと思います。


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