No.270








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●年を食うに随い時間の流れもどんどん疾くなる…儂は人一倍そんなふうに感じている。山野の、あるいは海・川の恵みも、時期時期は短かく足早やに去って行く。旬…即ちそれぞれがおよそ十日を目処に目紛しく展開するから、ちょっと油断すると、儂のような老賊はついつい置いてきぼりを喰らうことになる。人様に比べて「食」の守備範囲は単純かつ極度に狭い儂だけど、それでも季節季節を真面目に食べて過ごすのはターイヘン。▲あらゆる道草食いは儂が幼い頃よりずっと続く性癖であるが、一方通草を好んで口にするようになったのは三十歳を越してからのこと。道草はミチクサだが通草はアケビと読む。開け実である。春はその新芽(キノメと呼ぶ)が旨い。秋はまたその果実がスバラシイ。一年に二度旨い…ってこと。キノメは自ら摘んで食すが、アケビの方は何故か採取の機会に恵まれない。鳥達に先を越されてしまうからかも。山野で出会えなくとも其処はそれ、街の店々にも栽培ものが逸早く並ぶから、これを利用する。シミ一つない美しい紫の、大抵はまだ割れ目もない大きなかたちの通草だ。■ヌルッとした芋虫状の果肉だけ食べて皮を捨てたりしてはいけない。皮こそ主役である。普通は味噌で炒める。詰めもの・挟み揚げなどの調理法を好まぬ儂は、皮のみを細切りにしてサッと炒める。数年前に別の方法も覚えた。自分の発明ではない。本の立ち読みかも知れぬが忘れた。典拠不明――。果肉を軽く裏漉しして、胡麻粒状の種を除き、これをソースとして炒めた細切りの皮に絡め、醤油を少し振って仕上げる。旨いんだなコレ! 如何なる場合も、巷で言われているような灰汁抜き(実際は旨味抜き)なんぞ、一切不要です。

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