沖縄から自然塩が消えて三年後の夏、沖縄・読谷村で自然塩復活を目標に全国から有志が集まり「第二回塩作りワークキャンプ」という勉強会が開催され、私は手弁当でそのキャンプに参加しました。そこで私の人生を決定づけ、後に恩師となる人物に出会ったのです。その人こそ、このキャンプのリーダーであり食用塩調査会の調査部長の谷克彦氏でした。
そしてワークキャンプから二年後、谷氏と沖縄で再会し、太陽熱と風だけを頼りにした「タワー式塩田法」という完全天日製塩方式の研究と実験という悪戦苦闘の日々が始まったのです。
その人の生きる道を決め、または人生を変えるような出会いは誰にでもあり、それが物である場合も、人であることもあると思います。
私の場合は、塩であり、谷氏であったのですが、自然塩製造禁止という時代背景も大いに関係しているのではないかと思っています。