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いったい、歯の数と形は誰がきめたのだろう? 
神様の配慮? 生物進化の不思議? そもそもニンゲンの歯の数を、はっきり知らないで私たちは生活している。クルマのタイヤの数は四つで、前輪駆動と後輪駆動、四輪駆動があることは知っていても。

今日、かかりつけの歯科医のもとへ、歯のチェックに行った。そしてヒトの歯は上下で三十二本。前歯が切歯、尖った鋭い犬歯、残りが親知らずをいれて臼歯だと、改めて知ったのだった。親知らずがない人は三十二マイナス四で二十八本。

歯にはそれぞれ役目がある。前歯は草や繊維質を食いちぎり、臼歯でそれをすり潰し、犬歯は、肉を噛み切るナイフで肉食用というのが、わかりいい説明だ。臼歯が多いのは、ニンゲンが穀物、もっと昔は木の実を食べていたからだろう。つまり本来ヒトは肉食でなく、穀物を食べる草食動物だったことを物語るのでは? 歯の役には諸説あるらしいが、しろうとの私はこれでうなずいた。

ネコは犬歯ばかりだ。肉食獣だから。ネコはおおむかし、エジプトで貴重な穀類をねらうネズミをとらえ食べていた。ネコは大事にされ、ミイラにして丁寧に葬られたネコもいる。自己中心的な人類は、食べ物を守るのに役立つネコ、狩りに役立つイヌを家のなかに入れ、共存してきた。

人生が長くなった二十一世紀、私たちは人任せでなく、自分で歯を守らなければ。おいしく食べ、元気に暮し、人生を楽しむために(これが人生の大目的だ)は、歯の健康が第一だ。食物を摂取するのは、歯の働きによるのだから。

あるとき歯科医で聞いた。「もういちどリンゴを丸かじりしたいっていう患者さんもいるんですよ」
なんと、歯がわるいと、こんな当然のことができないのだ!
姉も言った。「私、入れ歯だから(何本かは知らない)、熱い麺類を食べると口中熱くなるのよ」
「なぜ?」「入れ歯の金属のせいなのよ」
入れ歯にする前、彼女の歯科医はそんな不具合を彼女に教えたのだろうか?
私たちは心臓や脳については日頃チェックするけど、どうも歯にはいい加減な気がする。歯科医での定期検診や歯磨きの新しい方法を実行しているか?

やはり姉に訊いたことがある。
「デンタルフロスやインターデンタル(歯間ブラシ)、ちゃんとやってる?」
「してないわ」投げやりに「私、入れ歯だもの」
でも、もっと若いときからやっていたら入れ歯にしなくてすんだかもしれない。
歯科医で教わった数字に、80/20というのがある。八十歳で自分の歯が二十本あればいいという、高齢社会向けに厚生省が出した目安。あなたの場合はいくつか、数えてみてください。

野菜とトリ団子のスープ、百歳でも自分の歯で


私の父は十九世紀末の明治生まれだが、いまの多くの人よりアタマがやわらかく、サヴァイヴァル精神の持ち主だった。九十八歳で亡くなる半年まえまでは、彼のチエは自立した一人暮らしのために、常備の食物を冷蔵庫にストックしていた。一人前のフォーションのアイスクリーム、四つワンパックの温泉卵、一回一・五枚のしゃぶしゃぶ肉、一回分ずつのご飯。ホテルの一人前の缶詰のスープをトマトとコーンの二種類。缶詰のアスパラガス。

野菜はほかで補う必要があるにしても、エネルギー源と味の点で、よく考えてある。彼は総入れ歯だから、軟らかい肉や、自分で茹でなくてすむ半熟卵は、すごい解決法だ。アイスクリームは楽しみとして必須の品。

歯では、こんなことがあった。ある夏休みの最後の日に弟に電話した。私の留守中は彼が父のガード役だ。「明日帰るけどパパの用事はない?」彼はない、と言った。ところが翌日曜日、父の家に行ったら「入れ歯がこわれたんで、ご飯が食べられない。ショウちゃんに頼んだけど、やってくれないんだ」
入れ歯は父が取り落として、まっ二つに割れている。
「わかった! 今日は日曜だから月曜に直すわ」  
その月曜はお盆の八月十五日。こんなとき直してくれるのは、アメリカ式システムの病院の歯科しかない。朝一番で、私の歯科医に電話した。彼は快く、
「すぐ直りますよ。午前中にあれば、夕方までにできます」。父は彼の患者ではない。首尾よくその夕方、私は父のもとに入れ歯を届けた。
「おお、よかった、よかった!」顔を輝かせた父。食事に欠かせない歯。弟はなぜ放っておいたのだろう?

あとで彼に言われた。「『すぐ』って言われても、できないこともあるんだよ。あなたが何でもすぐやるから、親父は何でもすぐ出来ると思ってるんだ。待つことを覚えてくれなくちゃ」
でも、歯は一刻を争う。入れ歯なしでは、栄養のないおかゆしか食べられない。食事は老人にとっての栄養源、活力の元、いちにちの大きな楽しみだ。若い世代は、そこに気がつかない。

羽田澄子監督のドキュメンタリー映画、鷹巣町の福祉(全三作)は有名だが、中に老人が「入れ歯ができて本当によかった」と喜ぶ場面がある。福祉の鷹巣町では、入れ歯が無料で作れるようになったのだ。

歯のケアでは、日本は遅れている。虫歯の治療なら保険が使えるが、検診ではノー、何か病気と引っかけない限り。歯は年に二回のチェックが不可欠なのに。入れ歯より、チタンをインプラントし人工歯を作るほうがいい場合でも、これも保険外だから歯の健康は取り残されがち。「口のなかの検診をちゃんとやったら、日本の医療費全体で三兆円以上浮くだろう」という説もあるくらい。歯がよければ病気も防げる。

もうひとつ、私には気になることがある。医師免許は、日本ではいちど取れば生涯有効だが、アメリカはずっとシヴィアだ。たとえばカリフォルニア州では、歯科医師免許の場合、二年ごとの更新制で、その二年間に五十時間の講習を取らないといけない。日本では歯科医師会など講習を取るよう薦めているが、強制力はない。医学は日進月歩。医師の人格は大事だが、同時に新しい知識と技術も確保しなければ。


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