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いよいよ住み慣れた東京を離れ、博多湾に浮ぶ能古の島へ引っ越す日が迫って来た。家の中はといえば、生活空間は全くなく、殆どのものが段ボールに詰められそこかしこに積み上げられている。約三十年と少しの間に溜め込んだものを、箱に詰め込んでみるとかなりの量である。よくもまあ、これだけのものを集めたものと、深く反省している次第。まさに、我が人生の垢である。父は日頃から、
「何のその、百年後は塵芥」
と言い放ち、ものを溜め込むことを極端に嫌っていたことを思い出す。とは申せ、もったいない、何時か役に立つ日が来るだろう、と不要なものを捨て切れずにいたことは紛れもない事実。これからの新しい生活は、何もない部屋で暮らすことが理想ではあるが、忽ちにしてその理想は崩れ去って行くに違いないだろう。

能古に暮らし始めたら、朝は六時には起きようと思う。目覚めてからコーヒーを飲み、犬を伴い散歩に出る。帰宅して、女房殿が焼いたパンと、庭でとれた野菜のサラダが朝食。来年の五月以降は仕事に出ることを止め、朝は爽やかな間に畑に出て農作業をし、残りの時間は原稿を書こうと考える。個人的にやり残したことが、多々あるからである。それと、釣り。新居の周囲は海である、防波堤から釣り糸を垂らせば小アジが入れ食いの様子であった。ということは、米と肉類を除くとほぼ自給自足の生活が可能ではないだろうか。

Kubota Tamami

こと釣りに関しては、かなりの自信がある。判らないことは、野菜作りであったのだが、ここ三年間は体験農園に通い真面目に勉強をして来た。いやいや、引っ越しの片付けの最中でも、通っている農園の野菜達が気掛かりでならない。つい先日も春菊の種を蒔いたばかり、来年の一月が卒業なので中途で投げ出す訳にはいかない。いま畑には、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ニンジン、大根(練馬、聖護院、青首、三浦の四種)、白菜、長ネギ、トウガラシが六種類、ほうれん草、カブ、京菜、小松菜、長なす、二十日大根、里芋、と春菊。キャベツとブロッコリー、カリフラワーはすくすくと成長し、ここ三年の間で一番の出来具合ではなかろうかと思われる。

大根も寒冷紗を覆って虫よけをしたのだが、いつの間にか背丈が伸びて窮屈そうに仕始めた。すぐにでも駆け付けて、覆いを外してやりたいところ。白ネギの溝には、少し土をかけてやらないと、肝心の白い部分が短くなるのと同時に固くなってしまうだろう。

体験農園では、与えられた畑の面積は十坪足らずであったが、能古の我が農園は八十坪もあるのだ。この畑全域に作物を育てたら、到底夫婦二人では食べ切れない。十坪の畑でも、六月七月の最盛期には毎日どなたかに配っていた。

欲張って畑全面に種を蒔くことだけは、絶対に避けなければならない。連作をしないように、順番に畑を休ませながら養土を培ってやらねばならないのだ。というのは、農園の先生の教え。はやらず焦らず、じっくりと畑を楽しむ人生を送ろうと思っている。

と、のんびりとこれから先のことを考えている場合ではない。現実問題として、今でも体験農園の畑には三十種近くの野菜が育っているのである。いくら引っ越すとは申せ、放置してしまったら育児放棄と同じことに相成る。せめて来年の一月迄は、月に二回位は野菜達の顔を見て話しかけ、成長した野菜は有り難く収穫して、能古に運んで味わおうと思う。キャベツの千切りと、能古で釣れたアジをフライにして食べよう。これからの季節、大型のハゼも釣れるだろうから、カリフラワーとマリネにしてもよいのではないだろうか。



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