スクガラスが腐った。
沖縄でも本土復帰と同時に、塩田がすべて閉鎖され、三百年以上も続いた自然製塩に終止符が打たれ、手作りの自然塩は姿を消すことになり、沖縄でも手に入るのは化学精製塩だけになってしまった。沖縄では、昔から生活の中で様々な食べ物に、薬に、と塩が上手に使われていた。その一つに公設市場などで必ず売られているスクガラスの瓶詰がある。この瓶詰は沖縄の代表的な伝統食品で、スクガラスという小魚を塩漬けして瓶詰めしたものである。スクガラスは、五、六月ごろ獲れるアイゴという魚の稚魚で、この時季に大量に獲れるため、保存食とするために塩漬けにして瓶詰めにしたものである。そのスクガラスの瓶詰に異変が起きたのである。沖縄市保健所に、業者から腐ったスクガラスが持ち込まれた。「ヤマトマース(化学精製塩)を使ったら普通はきれいなピンク色をしているスクガラスが真っ黒に変色してしまった」というのである。初めは原因がよく分らなかったが、よく調べていくうちに新しく使った化学精製塩が原因であることが分ってきた。そのほかにもスーチーカー(豚肉の塩漬け)が腐る、スヌイ(藻ずく)漬がうまく漬からない、味噌がうまく出来ない、昔から薬代わりに使っていた人たちからは、ヤマトマースを使ったら傷が治らないなど数々の問題が出てきて、ヤマトマースは毒ではないかという噂が沖縄全域に広がっていった。
自然塩復活運動が各地で起こる。
本土ではすでに全国各地の自然食の会、主婦の会、消費者の会などを中心として、化学精製塩反対、自然塩復活の運動が小規模ながら立ち上がり始めていた。中でもさきがけとなって全国各地で廃止活動を積極的に展開していたのが、桜沢如一氏が主宰する日本CI(自然食普及会)であった。法の施行が一年遅れとなった沖縄でも、スクガラスの事件をきっかけとして、製塩業者や消費者の会、自然食の会の会員たちが中心になって「自然塩を守る会」などを結成し運動を始めた。その頃三十五歳になった幸信は、タイル貼り職人として会社を経営しながら、「コザ緑の会」の会長として活動していた。塩が健康に重要であることを知り、塩について勉強を始めていた時期であったので、自然塩廃止に大きなショックを受け、直ちに自然塩復活運動に加わることを決心した。