なぜ卵にこだわるか? うちの仔猫たち、といっても、もう三歳近い二匹でりっぱなオトナなのだが、母猫と暮していると、猫でもどこか幼いままでいる。そのなかのギズモが、自分を「玉子さま」だと思いこんでいて「ぼくはタマゴさまなんだよ」というからだ。じつは「王子さま」のつもりなのに、字を読み違えているのだ。もちろんこれは、飼い主の私とアミの創作で、私たちが彼に代わって、しゃべって遊んでいるにすぎない。
ギズモは、映画『グレムリン』のなかの善玉のギズモにそっくりで、この名になった。短毛シルヴァのアメリカンショートヘアの仔なのに、茶系の長毛なのは、遺伝子のいたずららしい。
タマゴさまのギズモは、タマゴの黄身が好き。猫たちの朝食は猫用の缶詰だが、それだけでは栄養上足りないので、パセリと生ニンジンのシュレッドしたのをまぜ、卵黄を少し上にかける。ギズモは真っ先に、黄身から食べるのだ。
一羽のトリになるだけの栄養素を詰め込んだ、まあるい卵。八十グラムあるかないかの白や茶色の殻の中は、生命の宇宙だ。私たちはこの神秘をもっと感じていい。そう書いていると、ギズモが脇からコンピューターのスクリーンをのぞきこんで「そうだよ、そうだよ」と言う。
「卵ってすばらしい宇宙なの。すごい力がいっぱいはいっているんだからね、だからぼくもつよいのよ」と弱虫ギズモは言う。
卵には、第二次世界戦争にからむいろんな思い出がある。私の子供の頃、食糧難の時代に卵は貴重品だった。なぜ卵が消えるのか、子供にはわからなかったが、オムレツなんか夢の夢。親はたまの配給で卵がくると、子供のためにゆずっていたのだと思う。
弟は学童疎開で、日光金谷ホテルにいたとき、面会にきた両親が、卵六個を東京から持ってきて、オムレツをホテルの厨房に焼かせて食べさせてくれたと言った。
「卵六個のオムレツって、後にも先にも、そのときだけだよ!」
戦争にまつわるイタリー映画にも、卵が登場する。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの『ひまわり』。ロシア戦線から帰らない夫を探しに、ロシアを独り訪れるソフィア。
ナポリで結婚した二人。マルチェロは、
「親父は結婚の翌朝、二十四個の卵のオムレツをつくって、花嫁と食べたんだ」
とお母さんが篭にいれて持ってきた卵で巨大オムレツをつくって、花嫁とわけあう。卵は二十四個あった。だが、オムレツの決め手であるバターはもうなく、オイルで焼いたオムレツだった。
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