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ずいぶん前のことだが、東京都の病院を患者にとって快適にするための委員会があって、いくつかの病院を見てまわった。そのとき驚いたのが、患者の食事のトレイにミルクが箱のままのっていて、グラスがなかったことだ。

西洋式スタンダードで経営する病院では、ミルクには必ずグラスが出る。私のはいった病院は、アメリカでも、東京でもそうだった。

ミルクを買った容器のまま飲む、これは野蛮だし、お行儀がわるい。 でもいまもたいていのところで(学校でも)、この習慣は変わっていないらしい。病人は気分よく食べたいのだから、もう少し美的にしたらと思う。子供はマナーのために。

「ストローがついています」? ネズミじゃあるまいし、ミルクを箱からチューチューすするなんて、おいしくない! 幼児じゃないのよ。

これが日本のスタンダードだとしたら、日本人はマナーも、食事を美的に楽しむ意識にも欠ける、といわれてもしかたない。病人は気分よく食べて早く回復すべきだから、美的に食べることは大事なはず。日本じゃそれより施設の省力のほうが大事なのか?

アメリカ映画でよく見るのが、荒れたライフスタイルをあらわすときに、冷蔵庫からミルクの大瓶をとりだして立ったままガブ飲みするシーンだ。一九六〇年代にジェームス・ディーンが『理由なき反抗』でそうやった。オレンジジュースの大瓶からのガブ飲みもある。まるで曲芸だ。

日々おいしい食事を食べること、食事をいいマナーで食べることは、食事を楽しむためのふたつのホイール。どっちが欠けても二輪車が動かないように、食事は楽しくない。レストランで行儀のわるい客のテーブルがあると食事が不愉快になるのは、ホイールのひとつが欠けるから。高笑いや大声はほんとにイヤだ。

親が子供にできる大事なことは何か? いい教育? もちろんそれもある、でももっとエッセンシャルなことは躾だ。言葉づかい、挨拶やお礼の仕方、そして食事のマナーの三つ、この三位一体は、子供時代からやらないと身につかない。教育はあとからでもまにあうけれど。
「食卓から勝手に立ってはいけない、家族みなが食事を終えてから席をはなれる」
「食卓ではきもちいい会話を交わすもの、みなにわかる話題で」
両親に感謝するのは、こうして身につけた食事のマナーは世界共通でどこへ行っても困らないから。

日本の映画やTVやCMで驚きませんか? あの食べ方のひどさ。大口を開いて食べものを口にいれる、女も男も。耳鼻咽喉科のイスのうえじゃないのよ! お箸やフォークに食べ物を山とのせ、口の真正面からもっていき、口に直角につっこむ。こういうDON'TSは、親が子供にノーと教えたはず。

お箸、スープ・スプーン、フォーク、どれもすっと横向きに口元にもっていくもの。口は、微笑む程度にあけるもの。「口に直角はノー」「大口はノー」は世界共通の常識なのに、日本人だけ知らないのかな? こんなTVをまねてよその国でやったら、日本人はマナーがない! と呆れられる。

マナーの本でなくても、 外国映画を見ればそういう機微はすぐわかる。エレガントな場面では、スープ・スプーンは横向きに口に近づくけれど、野卑なシーンでは、真っ正面から直角に口に突入だ。

アメリカ映画『ファースト・ワイヴス・クラブ』、ニューヨークの女三人が、彼女らを捨てた元夫たちをやっつける痛快なコメディ。夫をとった下品な若い女が、社交界の顔役マダムの家にランチに招かれる。フォークを振り回してしゃべる、直角に食べ物を口に運ぶ。「これじゃダメ」とテストしたマダムに見限られる。そのマナーの下品さがわからないと、この映画の面白さも減る。

猫だってストローで飲みたいのよ


給食のミルクを箱からじかに飲ませるのは、不潔だしマナーにわるい、という騒ぎが四月にあった。姫路市の小学校の話しだ。保護者の抗議で市教育委員会があわててストロー使用を指示した(読売ニュース)。学校は、環境にいいと思ってストローをやめたと言い訳し、環境専門家は、ストロー程度でゴミ減量にはならないと解説、マナーよりゴミ減らしが大事だ、という市民もいた。

でもこの問題、根本は日本じゃ、食事を楽しむことが人生の大事、と考えられていないからだと思う。給食は栄養を考えれば充分、美的か、マナーはどうか、なんて二の次、三の次。

フランスやイタリーみたいに、食事イコール生きるよろこび、と考えたら、日本の学校給食はもっとよくならなければ。食堂はあるのか、ミルクはグラスで飲むのかなど。

幼稚園、小学校の給食が将来のグルメ養成に欠かせない大事である、というのはフランス流考え方。(タイム 3.15/2010)。パリ在住のアメリカ人が三歳の息子の保育園に給食の申込み登録をした。ある日息子が家でランチと食べずに帰ったら、母親は市の担当官に呼び出され、彼女に理由を訊かれた。家の昼食でひと休みさせたくて。

「でもマダム、わが国の給食がすばらしいことはご存知でしょう? 肉は百パーセント国産です」
毎週emailでくる一週間のメニュは、オードウヴル、サラダ、メインディッシュ、チーズ、デザートの五品で、毎日変わり、学期中、同じものがくり返されることはない。ミルクはグラスだ。

おまけに夕食へのサジェスチョンまでついている!「今日あなたのお子さんのランチは、ターキー、ラタトゥイユ、ラズベリー入りクレープだったので、夕食にはパスタ、いんげん豆、フルーツサラダをおすすめします」等。

フランスでは、いい食事の習慣をつけるのは国をあげての大事――食卓について時間をかけて食べるもの。子供のお昼に冷蔵庫の残り物なんてノー! 自販機は学校には禁止、国家予算削減でも給食だけは別格扱い――と彼女は驚いている。日本は?

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