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「世界の人々に健康な食を」
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前号のあらすじ
幸信の塩づくりの目標は、はじめに「いい塩をつくること」、さらに「その塩で世界の人々を健康にすること」。幸信はこの目標を実現させるため、二〇〇四年イタリアで開催された世界スローフード大会に初めて参加し、講演した。そのとき諸外国の参加者から受けた反響の大きさに改めて使命感を駆り立てられたのであった。

ドバイの国際食品見本市に出展
農林水産省主催の「世界が認める輸出有望食品 選」に「粟国の塩」が選出されたのを機に海外への発信に弾みがついた。幸信は、まず始めに、アラブ首長国連邦のドバイで開催される国際食品見本市「ガルフフード2010」への参加を決めた。これは農林水産省の支援事業で、日本パビリオンへの出展である。ドバイは、一部の超富裕層、海外からの駐在員、所得の低い労働者で構成されていて、ここ数年の富裕層における、日本食への関心の高まりや、中流階級層の安心・安全な食材への需要が顕著であるというのがドバイに日本パビリオンを出展する背景である。

幸信は、ドバイについて、最近ニュースなどで様々に取り上げられて知ってはいたが、あまり関心を持って考えることはなかった。そのため中東の国で、自分のつくった塩がどう受け止められるのか不安でもあったが、どんなことにも探求心が旺盛で、挑戦する気持ちが強い幸信は、ドバイ行きを楽しみにしていた。

見本市の会期は、本年二月二十一日から二十四日までの四日間、出展者総数三千五百社以上(日本からは十四社)、参加国八十一か国、来場者数五万五千人である。

オイルマネーが集中する都市
沖縄から関西国際空港、香港と飛行機を乗り継ぎ、ドバイの空港に到着したのは二月十九日の早朝であった。民族衣装に身を包み、ターバンを巻いた担当者による入国手続きを済ませ、空港を出るとすぐにコーランの響きが耳に入ってきた。中東の国に来たという実感が湧いてきた。

二月というのに、肌に突き刺すような日差しは、沖縄の夏を思い出させるような厳しさがあった。この国は石油は産出しないものの、周りの国からオイルマネーが集中して投資され、最近、経済は崩壊したなどと伝えられてはいるが、世界一の超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」はじめ多くの高層ビルの開発が進められ、市場は活気に満ちていた。世界中のセレブが注目するという、椰子の木をデザインしたといわれる超豪華リゾート、人工島「パーム・ジュメイラ」の開発規模は、日本人にはとても想像できない、眼を疑うほどのスケールであった。幸信は、砂漠の国を想像していたが、街には緑が生い茂り、いたるところで噴水が大量の水を噴き上げていた。道路には花壇があり自動散水が出来る装置が整備されていた


ドバイの国際見本市で説明する幸信(左端)


日本料理ショーは大盛況
見本市の会場は、ドバイ空港から約十キロのところにあるドバイ世界貿易センター。初日に、集客イベントとして料理ショーが行われた。ここで日本の参加企業の食材を使った料理を試食してもらい、日本産食材の品質の高さを実感してもらうのである。このショーは人気があり、毎回多くの人が来場する。料理は、ドバイの日本料理店「喜作」の知名貞一シェフが腕を揮った。

料理には、「粟国の塩」が使われ、塩一つで食材がいかに生かされるかが来場者に説明された。さらに、デモンストレーションとして、野菜サラダ、塩おむすび、ステーキを試食してもらった。スパイス文化の国では、塩が食材を生かす微妙な違いを知ってもらうのは難しいという先入観があったが、実際には旨味を感じることが出来るのではないかということを知り、とても驚かされた。

アラブ人は概して体格がいいが、上流階級のアラブ人に、日本ではお馴染みの生活習慣病が蔓延しているのに幸信は衝撃を受けた。宗教上アルコールはご法度の国であるが、その分甘いものをたくさん食べるという。また、料理には大量のケチャップやマヨネーズが使われ、まだまだ健康管理の知識も関心も低いようであった。

今回のアラブは日本とはまったく食文化の異なる特異な国であったが、彼らは日本産の食品や食味の違いに価値を認めていることが分かった。日本食レストラン「喜作」も一か月以上前から予約が一杯になるということを聞いた。

ところかわれば…
見本市には、インド人の来場者も多かったが、幸信はそのインド人から驚くほどもてたという。理由はよく分らないが、幸信の顔がよいといって褒め、触らせてくれといって触りまくられたという。もてたのは男性からばかりで、うれしいやら気持ち悪いやらの思い出である。
(取材・構成/本誌編集部)

(取材・構成/本誌編集部)


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