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「世界の人々に健康な食を」
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念願のキューバ訪問
今年の三月、幸信は吹雪が荒れ狂う氷点下のニューヨークから、常夏のカリブ海に浮かぶ社会主義共和制国家・キューバに飛んだ。幸信は十数年前からキューバの国家・農業・医療・教育に大きな興味を持ち、念願かなってのキューバ入りであった。
国交の無い米国からは直行便は無く、メキシコのカンクン経由で入国した。ハバナに到着したのが深夜零時を過ぎ、入国手続きでは慣れないスペイン語に四苦八苦しながらどうにかハバナ市内のホテルまでたどり着いた。

危機から甦ったキューバ
キューバは一九五九年のキューバ危機以来、米国との国交が途絶え、米国との輸出入は全て禁止されたが、社会主義圏との結びつきで大国に媚びない象徴的な国として発展をとげてきた。しかし、ソ連崩壊後、急激な食料危機に見舞われ、もともと食糧自給率は四十%にも満たなかったことと、観光国として発展して来たため、国民生活のほとんどは輸入に頼って来た。そのため砂糖以外は生産性は低く、生活はとても苦しいものとなった。この危機的状況に、政府は国家的事業として都市農業の計画経済を推進した。やむにやまれず、食べ物をどこででも作るという政策であったが、試行錯誤を繰り返しながらも、わずか十年間で食糧自給率を七十%以上にまで引き上げる成果を得た。さらに、政府は医療分野にも力を入れ、国民一人当たりの医師の割合に加え、医療技術までが世界最高水準にまで達したといわれている。

勉強になったキューバ農場視察
化学肥料は使わず、牛や鶏の糞や収穫期を逸した野菜や落ち葉など、すべての有機物が堆肥として還元され、ミミズを養成し、ミミズで有機物を無機物や微生物に変え、肥料や土壌改良剤として使っていた。また農薬を一切使わず虫や植物の生態を研究しながら農業を行っていた。植物の受粉は虫がいないと出来ないが、虫がきてほしい植物のところには、黄色を好む虫が多いので黄色の目立つプレートが畝にさしてあり、長い畝の両端にひまわりやマリーゴールドの黄色の花が植えられていた。ひとつの畝に二種類の野菜を育てていたが、それはお互いに成長を助け、虫の害から守るための方法であると聞いた。また、機械といえば灌漑用のポンプがあるだけで耕運機は見当たらなかった。また小規模な農家にも十名近くの従業員がいて、野菜が丁寧に育てられていた。そして敷地内に販売所が設置され、新鮮な野菜が売られていたのが印象的だった。
たばこ栽培農家にて

持続可能な都市型有機農業
日本は「大量生産、大量消費」、「内需拡大しないと景気がよくならない」など、消費は美徳であるとされる消費社会である。消費社会の行く先は、地球環境の悪化や資源の枯渇などといわれ、不安で不透明である。キューバはそのような不安で不透明な消費社会とは正反対な「持続可能な」社会のように感じられた。自然の摂理に合うバイオマスを利用した循環システムがすでに構築され、数十年後の人間のあり方を示しているように思えた。
実は、キューバが以前から地球環境を考慮した農業を行っていたのではなく、環境の観点から有機農業を志す農家はあったようだが、僅かだったという。このような都市型有機農業がなぜできたかというと、それはソ連崩壊のお陰だそうだ。ソ連の崩壊によって、一挙に石油・農薬・化学肥料が入ってこなくなり、さらにアメリカの経済封鎖が追い討ちをかけた。
そこで、キューバの人口の五分の一を占める200万都市のハバナ市民を飢餓から救うためにハバナ市内に農園を作り、そこで野菜を栽培し市民に供給するという政策をとったのだ。幸信は、何が幸いするかわからないと思った。世界で一番新鮮でおいしい安全な無農薬有機野菜を食しているのはキューバの人々なのかもしれない。幸信はキューバがとても羨ましく感じられた。
現在の日本の食糧自給率は40%といわれていて、多くの食べ物が輸入頼りである 。国も国民も先進工業国としてのプライドを持っているが、人間の生命活動の根源である食がこの状況では国家の将来が全く見えてないといってもいい。
また食品の輸入を中国に大きく頼り過ぎているのも問題である。今後は武器ではなく食糧の輸出入の問題が国と国の駆引きに使われる時代になるのではないか。まさに食料品がミサイルに変わるということである。
幸信は国家の主義は異なっていても、キューバの農業政策は我々に一つの方向を示してくれたのではないかと思いながら、帰国の途に着いた。

(取材・構成/本誌編集部)


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