No.284







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●骨身を削るのが嫌いな性分で、替わりに睡眠ばかり削ってきたから、この歳になると、明け方は流石に、身心共に可成りしんどい。それで先ず水垢離(みずごり)ならぬ“お湯垢離”をやる。穢(けが)れが半分抜けるようで、何だかほっとした気分だ。さらに一寸(ちょいと)一杯のお浄めとなる。ショースケさんみたいに聞こえるかも知れぬが違います…そんなんじゃない。▲その為に作り置いてある品々を冷蔵庫から三つ四つ取り出して、小さな器に一品ずつ盛り付ける。テーブルにお供えして祈り、神様と共食する。彼者誰時(かわたれどき)の敬虔なセレモニーである。盃が重なると「あァ、あれもお供えしたい、こんなものも供えて共食したい」という品々が脳裏に浮かんだりする。そこで自らお清所に立ち、ササッと何品かのおままごとに励む。だから「一寸」が「もう一寸」になったりする訳だ。盛り合わせが嫌だから一品毎の小皿・小鉢・小向こうのオンパレードとなる。食べる端から片付けるけど、つまりは和風のスモーガスボードみたい。少しずつだけど結構食べてしまう。盛り合わせを避けて、例えば刺身も魚が違えばそれぞれ別盛りとする。前々号に「弁当の類いが苦手」と書いたが、それはたぶんワンプレート的形式がダメなのだろう。■一寸でもそれは効くものだ。一寸やもう一寸が高じて、ついウトウトとなる。 美味しい夢を見る。二十分程で我に返る。儀式の続きとなる…とは言っても後は漬物と味噌汁と御飯で締め括るだけ。さらに茶を二〜三杯か――。スタートからフィニッシュまで四時間程かかるので、片付くのは凡そ八時か九時頃となる。ここからは“神事”なんぞ何食わぬ顔の半兵衛で、シャバに融け込んで行く。腹と時間の都合で、当然昼食は抜きとなる。

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