招いたら、自分が満足するまでステイすべき、と思ってるホスト、ホステスは王族の驕りじゃないか? 私は、うちのパーティに友達が「時間をさいて来てくれる」のをありがたいと思っているから、お客の自由を尊重する。
ひとがレストランの会食を好むのは、終われば切りよく帰れることもあるのじゃないか。もし長びいても、昼、夜とも店には閉める時間がある、これが救い。
しかしここで、想像力の問題が出てくる。もしあなたが人を招いて、来てもらい、ご馳走し、お礼を言って、じゃサヨナラ、でいいのかどうか?
親しい同士が誘いあい、みながめいめい払いする会食なら、道中もそれぞれの裁量のうち。でも、世話になった人や遠来の友を、こちらから招いたときは、往復の便まで考えなくちゃ――ということだ。
私は何度か、やや仕事めいた会食に招かれた経験から、これを学んだ。いちどは「帰りのクルマをご用意します」と先方が言わなかったため、苦労してパーキングを調べ、往復をセルフドライヴし、ワインも割愛。別のときは「お酒を飲むつもりできてください」と注文され、往復のタクシーで約一万円。いい教訓になった。
人をお礼に「招く」場合、お迎えに行く、あるいはタクシー券の用意は、must itemである。
招かれたほうは面倒でも「来てくれる」ことを、忘れちゃいけない。
しかし、クルマで 一時間かかるところでも、うれしい招待もある。時折ここに登場するニックネーム「ホラフキ男爵」が、横浜のアパートメントに五人ほどをランチに招いたときだ。彼は料理上手で、フカヒレを姿煮にしたて、アミと私、開新堂五代目の道子さんと夫、丸梅の女将さんという、うち以外は、錚々たる料理の達人をよんだ。これが大好評。
「すごい、どうやってフカヒレなんて作れたの」
「料理人はみなさん遠慮して招んで下さらないから、とてもうれしいわ」
この招待の仕上げは、楽しんだあと、気軽にさよならしたこと。「もっといてよ」なんてひと言もなく「ご馳走さま」「楽しかった」と気軽にバイバイ。これがほんとうだ。この会食はいまも話題になるヒット・イヴェントで、どうせ人を招くならよろこばれるやり方をする、ステキな見本である。
気軽な誘い方が、かしこい招き方の基本。そして、少し早めに失礼するというお客には、すなおに応じること。「もう少しいて」「終わりに楽しいことが用意してある」なんて言葉は呑みこもう。相手を居心地わるくさせるだけだもの。
招かれるほうは、ハムレットのマネじゃないが、「行くか、行くまいか」to go, or not to go, that is the questionを自問しているのだから、招くほうは、その辺を想像しなくちゃ。だから私はうちでパーティをするとき、誘い方に気を使う。大勢のビュフェのときは、出欠の返事を強制しない。
「こられればうれしいわ。でもムリしないで」そして「行かれない、ごめん!」という返事には「気にしないで、友達同士なんだから」と。
集まりで大事なのは、楽しさと居心地よさだ。それは、招待に対して「行く、行かない」の選択の自由があるか? 好きなときに帰れるか? 面白く楽しい人たちが来るか?――がベースだ。
「でも、およばれ好きの人も大事よ」私はアミに
言った。「招けば必ずくる社交好きな人で集まりは賑わうから。時間気にせず楽しんでくれる人の存在意義ってそれなのね」
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