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能古の島に移り住んで、あっという間に一年の時が流れた。一年暮してみて、心底から転居してよかったと思っている。しかし、不安はあった。便利な東京の生活に染まり切った夫婦が、果してやっていけるかどうか、と。三十年前の僕だったら、コンビニ一つない島の暮しに、対応出来たものであろうか。恐らく、ノーだったろう。博多の街が借景のように望める素晴らしい土地とは申せ、夜は真っ暗だし最近はイノシシも多々徘徊している。現実的には、まことに寂しい環境。

この寂しさを救って呉れるのが、有り難い友人達。この一年の間に、述べ百人は超えるだろう友人がやって来た。我が家に泊まって数日過した彼等は、口々に、
「タローさん、本当に能古は素晴らしいところだねー。老後を過ごすのならば、こんな場所が最高。手作りの野菜は旨いし、空気も旨いし、中洲も目の前だし俺も住みたいよ」
という風なニュアンスのことを、口を揃えたように表現する。正直なところ、ほんの少しだけ文明生活に未練はあるけれど…、僕達夫婦は隠居暮しをし始めているのである。

老後の生活というと、僕のイメージの中では、日がな一日ひなたぼっこをしたり、寒くなれば長火鉢で目刺を焼いたり、というようなのどかな暮らしを連想していた。が、現実は大違い。夏は五時前に起きて犬の散歩、その頃になると周りには草を刈る音が聞こえ始める。雑草の生命力は凄まじい、種が宿る前に刈らないと、瞬く間に畑が薮になってしまう。草刈が終わると、今度は畑の手入れ。我が家の周辺では、八十歳を超える老人達が現役でバリバリと働いておられる。六十半ばの僕なんぞ、まだハナタレ小僧なのである。そんな方々に触発され、我等夫婦も安穏と暮している訳には参らぬのが現実。

Kubota Tamami


という次第で、夏場は五時には床を立ち、日短の冬でも日の出前に起き畑に向かうべく準備をする。秋の終わりに播種した、多くの野菜達の手入れと収穫があるからだ。辛いと云えば辛い日課だが、野菜に接しての喜びも多い。特に、キャベツが次第に球になって行く様子は驚きでもある。全ての野菜に言えることだが、出来得る限り農薬や化学肥料は使いたくない。キャベツの類いは、種を苗床に蒔いて本葉が数枚出たところでポットに移し、更に大きくなったところで畑に定植する。ところが、植えた翌日には虫がやってきて葉に穴を開ける。放っておくと数日後には、葉は蝕まれレース状にないる。紋白蝶や黄蝶が、ポットに植えた苗に産卵し、畑に移した頃を見計らって孵化をするのである。青虫に黒虫、おまけに夜になると夜盗虫等々。園芸本によると農薬を使わぬのならば、手で捕殺するしかないそうだ。これを、テデトール療法というのだとか…。

ともあれ、キャベツの生命力は素晴らしい。虫に喰われた痛々しい株でも、時季が訪れると自然に芯の方から丸まって来るではないか。そうなると可愛くて仕方がない。出来が悪くても、愛犬供の餌に煮込んでやろう、と思って真二つに割ってみると中の方は何ともない。先ずは刻んでトンカツに添えて味わう。いやはや、旨い。甘味があって柔らかく、ほんのり青っぽい香りがする。次は、レモンとマヨネーズで和え、即席のコールスロー。最高の出来は、キャベツの隣に植えたビーツが殊の外よく出来たので、タマネギ、ジャガ芋、人参、ビーツを合わせて煮込む。味のベースは牛のバラ肉。買ったのは肉とサワークリームだけで、後は自家製。最後にキャベツを手で千切って一煮立ち。瞬く間にキャベツがビーツの色に染まり、美しさを醸し出す。虫喰いキャベツでも、冬の夜長を豊かにして呉れるのだ。



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