No.286







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●暖房のスイッチを入れる頃になると、「そろそろ大根の季節だよなァ」と、しみじみ想う。年間を通してキッチンに大根を欠かすこともないのだけれど、温かい(あるいは暑い)季節には、刺身のケンや、焼きものなどにあしらう大根卸しや、サラダや汁の実に使う程度だ。それが寒い季節、分厚い輪切りにして煮込んだりすると、大根は俄然存在感を増すのです。鰤と大根、鶏の手羽と大根、豚の三枚肉と大根のような濃厚な味は(年齢も年齢だから)嘗てのようには身体が欲しなくなった。極々薄味で煮込んだものや風呂吹き大根なら、三日に上げず食いたくなったりもする。鬼卸しで卸して牡蛎や蛤の小鍋立てや粥・雑炊に放り込むのも有りだ。然る店の料理長に「とてもよい具合に仕上がりましたよ」と鮑で煮た大根を試食させられた時に「濃厚で旨くても余計な味だな」と儂は首を傾げた。随分以前の事だが、思えばあの頃から「シンプルに素材の味が生きている方がいい」と感じていたのかも知れない。おでん屋で、一般には好まれる味のよく染みた煮崩れ寸前の大根が儂は「ノー」で、「あまり染みていないやつをねッ」と注文するようになったのはもっとずっと若い頃からだから、「素の味」好みは元々の性癖だったのかもしれない。大根といえばこの国の野菜の代表選手といってもよいだろう。数えれば全国に何十種もあるらしい。だが儂の住む町で手に入るのは、例の〈耐病総太〉と思しきものばかりだ。偶さか三浦大根と印されたものがあっても、以前銀座辺りの裏小路に積まれていた品とは似ても似つかぬ粗末なもので、手に取ってみる気にもならない。せめて東京の「練馬」や「亀戸」や「大蔵」といった品種を食べ比べてみたいと思うのだが…。

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