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外でうれしいのは、おいしい食べ物に出逢ったとき。店のケースを覗いて、アミと思わず、
「あ、おいしそう!」「これ珍しい!」

小さな叫び声をあげ、試しに買ってみる。チョコレートのときもあるし、果物、ケーキ、パン、キッシュとさまざまだ。
買って、勘が当たるとハッピーだ。そしてリピーターになる。伊勢廣の焼きとりや、赤トンボのサンドゥィッチは有名だから、このカテゴリーにはいらない。「出逢い」は暮しに小さなスリルを与える。

「茶色のパンのサンドゥィッチ、すてき!」と叫んだのは、ひと月ほど前、麻布ナショナルに食料品を買いに出たときのこと。肉売り場の横の小さなバスケットに、手づくり風の三段重ねの茶色パンのサンドゥィッチがある。たっぷり詰められた肉と野菜がパンからはみ出ている無造作さは、ニューヨークの街角で売っていそう。「お肉屋さんのサンドイッチ」「各五食」と手描きの札。
「ここの肉を使って始めたのね」
「ローストビーフと生ハムのどっちにする?」
こぶりで、車中食べるのに具合よさそう。その日の外出はお昼にかかる予定だった。一つ三百円もうれしい値段。私たちは生ハムとトマト、モッツァレーラ、リコッタ、バジルのを一つ買った。あとで内容記載を見たら、オリーヴオイルとあって、なるほどチーズ二種類だからバターを使わないと知った。

次のチャンスには、茶色パンの三段重ねのローストビーフにした。トマト、レタス、キュウリ、アヴォカド、クレソン、アーリーレッド(赤タマネギ)、マヨネーズ、レモン果汁に、塩、胡椒にこれはバター。こまやかな配慮と内容の正確さが気持ちいい。茶色パンは粗挽き小麦。このサンドゥィッチは、ここで働くインド系日本人のオリジナルな発想で始まった。
外で、手で食べられるサンドゥィッチ。クルマのなかでも、うちに持ち帰っても、ひとの家でも、「どこでも食べられる」うれしい、便利な食べ物だ。

それで言えば、私たちのクルマは「うちの延長」で、ドライヴ中も家にいるのと同じに使う。3Mのポストイットからハサミやガムテープはもちろん、食べる道具も積んである。サンドゥィッチをかじるときは、バックシートのバスタオルを二人のひざにかけ――中身をこぼしたときの用心だ――助手席の私がサンドゥィッチを開いて、ぱくり。信号の合間にアミもぱくり。手指の消毒液も常備品。

かじる瞬間、ワクワク!


サンドゥィッチは「手を汚さず食べる」便利性で生まれた。といっても、食事を手づかみでなくフォークで食べるようになったのは、ヨーロッパでは、当時の先進国イタリーは別だが、十八世紀になってから。ナイフとスプーンはあったが。お皿も一般的でなく、宴会でも料理は大皿で食卓に出され、お客は古いパンの厚切りをお皿代わりに、料理をのせて食べたという。

古事記の「八岐大蛇(やまたのおろち)」退治に、須佐之男命(すさのおのみこと)が川に箸が流れてきたのを見るくだりがある。上古から手づかみでなかったらしいが、当時はピンセット風の形だったらしい。いまの形になるのは七世紀から。

サンドゥィッチは、十八世紀後半に、イギリスの四代目サンドゥィッチ伯爵が、執事にパンの間に肉をはさんで持ってくるよう命じたのが始まり。カードをやりながら食べられるから。実際には、彼はデスクで食べるほうが多かったそうだ。貴族は領地持ちだったから、遊んでばかりはいられない。

十九世紀から二十世紀初めにサンドゥィッチが急にひろまったのは、工業化社会のニーズから。働く階層にとって、手早く、安く、持ち運びできる食事だった。
サンドゥィッチは英語だが、世界中で通用する。それで助かったのは、一九七 二年にフォルクスワーゲン・クラブで、ワーゲン五台に三人ずつ分乗してドイツやスイスを廻ったとき。夜更けに私のクルマだけ迷子になった。真っ暗な田舎道で灯りの洩れる野なかの一軒家。カフェだ、しめた! とはいったら、英語なんか通じない。でも「サンドゥィッチ」のひと言で食べ物にありついた。

イギリスのミステリーを読むとサンドゥィッチにも階級性が見える。上流階級は黒パンにスモークドサーモンや、白パンにキュウリのが登場。キュウリのサンドゥィッチは、女王のガーデンパーティにも出される極上の代表だ。

英語で書くと〈sandwich〉 だが、「t」をいれて〈sandwitch〉となるとウィッチは魔物。いま風のお伽噺ではサンドゥィッチに姿を変える魔物で、うかと食べると食べ手に害を与えるそうだ!

西園寺公一の『釣魚迷』には、子供時代、日光で釣りに行くときのお弁当が、パンとチーズとチョコレートだったとある。チーズのサンドゥィッチだった?「洋行帰り」の家のライフスタイルが窺える。

私もその一派。アミが思い返していう。「幼稚園で、みんなおむすびだからお弁当におむすび持っていきたいって言うと、ママに『あれは作るのが大変だから』って、ノーだった」。「だから学校給食でおむすびが出ておおよろこびしたの。お皿に赤と緑の大きなおむすびで、お箸で食べたの」。赤と緑のふりかけだったそうだ。

私が子供によく作ったのは、ピーナッツバターとジェリーのサンドゥィッチ。アメリカの子供の典型的なおべんとうだ。卵とマヨネーズ、ハムとレタス、キュウリとチーズ、ヴァリエーションは限りなく、やっぱりラクなお弁当だ。

ニューヨークの七番街にあるカーネギーは、名物デリ。サンドゥィッチ好きはここのを食べなくちゃと、アミと私は、ローストビーフとパストラミのをひとつずつ注文した。茶色パンの間に肉のスライスが、一ポンドバターほどもドカーンとはいって、あふれている。残ったのでテイクアウトを頼んだら、パンも中身も新しくなっていた。

いまでもここで試さなかったリュウベン・サンドゥィッチに惹かれている。ザワークラウト、コンビーフかパストラミにグリュイエールをはさんでさっと炙る、ネコが活躍するリリアン・J・ブラウンのミステリーで、主人公クゥイラランの好物だ。

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