65


「世界の人々に健康な食を」
〈15〉




前号のあらすじ
「粟国の塩」創業から十年目、塩作りも軌道に乗り始めた二〇〇五年、創業十周年記念事業として多くの関係者を粟国島に招いて「スローフードを考えるシンポジウム」を開催した。ここで幸信は、自然の恵みを与えてくれる母なる大地にこれ以上負担をかけることを止め、今こそ食を正常な状態に戻すときであると話した。その年の十一月には、「いい塩で世界の人々を健康に」の幸信の夢を実現させるために、二〇〇四年のイタリア・スローフード大会に続いて、米国で開催された国際貿易展示会に参加。その米国滞在で多くの刺激を受け、塩作りに新たなる意欲を駆り立てられた。

明日を担う子供、若者たちが心配だ
幸信は、恩師・谷克彦氏の言葉「いのちは海から」という考えのもと、塩は人を健康にするものでなければならないという信念を持って塩作りをしている。

今日、家庭での親子のあり方が大きな社会問題になり、食育の重要さが叫ばれている。社会構造の変化により核家族化が進み、家族で食事を一緒にする事が少なくなり、親子の会話も無く、そのため躾や食文化の継承まで出来なくなっている。一家団欒という言葉も過去のものになってしまい、子供が一人で食事をする個食や、食べ物の偏りにより、こころが不安定になり、キレる子供が増えている。幸信は、このような子供、若者たちの心や体の健康についても何とかできないかと考えている。

体験塩田でいのちの大切さを
二〇〇六年、幸信は塩工場の敷地内に昔ながらの揚げ浜式塩田と塩炊き釜を作った。子供、若者たちに塩作りを体験してもらうためである。
この体験塩田を作るきっかけとなったのは、不登校による引きこもりの子供たちを何とか救う方法が無いかという学校の先生との出会いであった。

昔から沖縄では、何よりもいのちを大切にし、優しさや親切心が自然に身につく島の暮らしがあったが、今ではそれも変わってしまった。若者たちは心を蝕まれ、いのちまでもおろそかにしてしまうのが最近の日本の現状である。幸信は「食」と「ものづくりの大切さ」を通して、子供や若者たちにいのちの大切さを伝えることが、この体験塩田で出来るのではないかと考えた。

体験塩田が完成すると地元沖縄はもとより、本土からも中・高校生が体験教室に参加した。体験教室は夏休みに開催されるため、真夏の厳しい暑さの中で行われるが、幸信自ら、ものづくりの大切さ、自然と、人と、ものへ感謝の気持ち、常に何かに挑戦する気持ちを持つこと、決めたことはいのちのある限り続けることなど、幸信自身の生き方や塩作りへの熱い思いを若者たちと会話しながら塩作りを教えている。

若者たちは、真夏の太陽の下で汗を流し、力を合わせて精根尽きるまで体を使い、塩作りを体験し、さらに自分たちが作った塩を使って料理を作って食べた。食べ物のありがたさ、ものづくりの大切さを知ったかのように、若者たちの瞳は輝き、たくさんの笑顔があった。幸信は嬉しかった。

粟国島の体験塩田で、塩づくりに励む生徒たちと幸信


昔の塩作りは過酷だった
体験塩田の揚げ浜式塩田は、海水を汲んで砂の塩田に繰り返し撒き、天日で水分を蒸発させ、塩分が充分に着いた砂を集めて、そこに海水を注いで濃い海水を作り、これを釜で炊いて塩を作る方法で、この製塩法は、鎌倉から江戸初期にかけて日本各地で行われていた。この方法はあまりにも重労働であったため、やがて潮の干満を利用して海水を濃縮する入浜式塩田に変わっていった。

今、「粟国の塩」は、タワー式塩田という製塩法で作っているが、幸信が体験塩田に揚げ浜式塩田を選んだ理由は、昔の塩作りがいかに過酷で手間ひまかかったのかを若者たちに体験してもらいかったからである。

ものづくりの心を若者たちへ
次の時代を切り拓いていかなければならない若者たちに、欲しいものが簡単に手に入り、経済的効率や、物質的な豊かさを優先する生き方ではなく、ものづくりの心を伝えることで、人間本来の心の豊かさを取り戻し、人と自然が上手に共生し、働く喜びの大切さを知って欲しいと幸信は願っている。

(取材・構成/本誌編集部)


.
.

Copyright (C) 2002-2011 idea.co. All rights reserved.