自分のうちの食事を料理するのに、私たちは臆病すぎないかしら? むずかしそう、失敗イヤ、メンドくさい―― と新しい料理にチャレンジしない。
これって、後ろ向きの人生じゃない? 人生はいくつになっても、前を向いて進むもの。それが日々を変化させ、楽しくしてくれる。
でも日本人の暮しのなかには、完璧主義という魔物が住みついていて、足を引っ張っているのかも?
料理なんか、自分たちが食べ、消費するものだ。それなら、気楽にやって、多少失敗しても「いいじゃない、これぐらいできれば」とにんまりする余裕を持てるはず。ノンシャラン、別の言葉でいえばいい加減さがあっていい。
CS放送で見る、イギリスの人気シェフ、ジェイミーの成功は、このいい加減さ、適当なやり方が大きい。見てるひとは「あ、これならうちでもできる!」と安心し「ボナペティト!」とキッチンに立てる。それはウキウキと料理することだ。
「ディスカヴァー・パッション」と言った料理人がいるけど、料理は情熱。料理をビクビクものにしないこと!
四谷の料亭、丸梅の女将さんは生前、「ご家庭ではどんどん試して、失敗なさいませ。そうしておいしいものが作れるようになるんです」と言った。これはありがたいアドヴァイスだ。
アミと私のモットーは、「トライ! トライ!」だ。たしかに私は、これまでのつたない料理経験のなかで、「失敗するかな?」なんて考えたことがない。本通りにやれば、必ずできる、と信じて、自信満々つくったものだ。めんどくさそうだから、やめよう、ということはあっても。やれば出来る、なんでもチャレンジ―― それがうちの料理哲学。
いまの家庭は、メンバーの誰かが料理しなけりゃ食べられない。昔みたいに、メイドやコックがいるはずもない。そして頼るものは「本」だった。うちにも『ロイヤルホテルの家庭料理』『吉兆味ばなし』『マリオのイタリア料理』に、英語の料理本や、外国旅行の際にあちこちで買ったハードカヴァーやぺーパーバックの本、本、本。
それが最近、急に変わった。伝える媒体の変化だ。いま、料理は空気中を飛んでくる。だから家にいる私たちがアクセスできる料理の世界も、急激に広がった。つまり料理をインターネットで知る、衛星放送のCS放送で知るのだ。
コンピューターの発達はものすごい。私たちが最近知ったおもしろいレセピは、みんなインターネットかCS放送を通じてだ。しかもこれなら、料理する本人の姿が見え、表情や声、つくる手つき、みんな目のまえにある。日本の料理番組は残念ながらトロくてつまらないけれど、外国のはスピーディで、イキイキしていて、内容もヴィヴィッドだ。
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