67


「いい塩をつくりたい」
〈17〉



前号のあらすじ
幸信は塩づくりの職人である。前号では、塩との出会い、自然はいのち、よい塩をつくるコツ、塩は自然治癒力の原点などについての幸信の言行録をご紹介した。
職人ならではの強いメッセージが感じられると同時に、これらのメッセージが幸信のつくる「粟国の塩」のファンを惹きつけているのである。
今回も引き続き幸信の言行録をご紹介したい。

「医食同源」は沖縄の伝統文化
「この塩を育てることは、沖縄の伝統的な食文化をまもることでもあるんです。海水からナトリウム以外の成分を取り除いてしまったそんな塩が味も体にもよい塩であるわけはありません」
「沖縄人にとって医食同源の中心に海塩がある、というのが私の塩づくりの原点です」
「沖縄ブームは結構なことだが、医食同源を考えた本来の沖縄料理が少なくなってしまったのが残念です。観光客には本来の沖縄料理を味わってほしい」

世界に知られる長寿の沖縄も、米軍が持ち込んだ高カロリーの缶詰食の影響は強力で、沖縄の食文化は激変してしまった。よく知られる「ゴーヤーチャンプルー」も今ではこの缶詰の食材が使われているという。そして、長寿を誇っていた沖縄も年々順位を下げているのである。
「身土不二といわれるように、その土地で出来た食材が日本人の体に優しく美味しいのです。そして、その食材の美味しさを生かすも不味くするのも塩なのです」

昔、沖縄では体調不良がすぐに死につながるほど医療の面で遅れていたので、病気や、怪我などを克服するためにはふだんの食への工夫がとても重要であった。旬の季節の野菜(薬草)を沖縄では「クスイムン」(薬になるもの)といって珍重していたが、中でも地元でとれた海塩は食の味付けというよりも薬としての位置づけであった。
沖縄が琉球と呼ばれた時代から、沖縄では人々の生活は海塩と深く結びついていて、海岸線に接する地域の住人は、家単位で塩をつくっていたという。
体験塩田で若者たちと塩づくりをする幸信


本物とは
「本物とは、伝統、人、ものを大切にする心から生まれてくる、ということを考えながら塩づくりをしています」
「ものづくりの世界では、よくこだわりということが言われますが、何が本物かを知らなければ、こだわりを持っていても意味がありませんし、本物をつくることは出来ないと思います」

若者たちのために
「この時代に何不自由無く育った若者たちが、自分たちの将来にどこまで危機感を持っているのか、とても不安です。今の若者は、決まったことはしっかり出来るが、自分で考え、新しいことに挑戦し、他人がやらないことを進んでやりぬく、そして決めたことはは命のある限りやり続けるという意欲が感じられない」

「自然、物、そして人生の師に対して常に感謝の念を忘れないことが大切である」
「今の日本は平和で、欲しいものは何でも手に入る国ですが、大人も子どもも我慢を忘れ、もののありがたさ、親のありがたさが分からなくなってしまい、家庭内で悲惨な事件が多くなってしまった。それに個食といわれる一人だけで食事をする子どもたちが増えて、家族の語らい、子どものしつけ、優れた食文化の継承など食卓の機能が失われてしまった」
「経済効率や物質的な豊かさ優先の生き方でなく、若者たちが心の豊かさ取り戻し、人と自然が共生して生きることが大切であることを、ものづくりを通して伝えたい」
戦前生まれの幸信は、ものの無い時代に育った。幸信は五人の子どもの親であり、子ども、若者が大好きである。

幸信は、ものが溢れ、物質的には何も不足の無い時代に育っている現代の若者たちが、一方では心を病み、我慢することや、挑戦する意欲をなくしている現状をとても心配している。
幸信が、粟国島の工場の一角に、塩づくり体験塩田を造った目的は、子どもたちに塩づくりを通して、ものづくりの心、食の大切さを伝えたかったからである。幸信は、この体験塩田で、若者たちとともに塩づくりに汗を流しながら、ものづくりの心、楽しさを伝えている。
「わたしは、日本人が大切にしてきた心について、この大消費時代の若者がどう考えているか心配です。ものが豊かであるより心の豊かな時代になることを願っています」

(取材・構成/本誌編集部)


.
.

Copyright (C) 2002-2011 idea.co. All rights reserved.