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私の塩づくりの目標は、はじめに「いい塩をつくること」。さらに「その塩で世界の人々を健康にすること」です。これらは、遡ること三十六年あまり、恩師・谷克彦氏はじめ三人の学者とともに、塩づくりの研究開発を始めたときからの目標です。世界では塩に対する認識はとても低く、塩に含まれるミネラルについての知識を持っている人は極めて少ないといえます。

私はこの目標を果たすために、二〇〇四年十月、イタリアで開催された世界スローフード大会に初めて参加しました。その翌年にはラスベガスで行われた「国際貿易展示会」で「粟国の塩」「粟国のにがり」を紹介しました。そして、一昨年、「粟国の塩」が農林水産省の「世界が認める輸出有望食品 選」に選ばれたのを機に、海外の食品見本市に積極的に参加しています。

昨年は、中東のドバイ、パリ、ニューヨークの見本市に出展しました。
また、昨年九月、食品安全管理の国際標準規格ISO22000を取得しました。世界規模で商品を展開させ流通させるためには、国際標準に則った安全基準の認証は必須なのです。

米国最大のフードサービスショー
IRFS会場
今回参加したのは、ニューヨークで行われたインターナショナル・レストラン・フードサービス・ショウ(IRFS)で、本年二月二十七日から三日間行われました。今回も農林水産省の政府ゾーンに出展依頼を受けたものです。このショーは、米国最大の高級レストラン向けの国際展示会で、高級レストランの経営者、シェフなどをはじめ二万人以上が来場し、世界中から集まった一万点以上の食材が出品されます。中でもしょう油、味噌、ワサビなどの日本の食材が出品されているジャパンパビリオンは日本食=ヘルシーという図式が浸透していて人気が高く、大混雑の盛況振りでした。
会場で「粟国の塩」を味わった高級レストランのシェフたちから、エクセレント・マイルドなどの言葉も頂きました。

ニューヨークの食材専門店でも、すでに「粟国の塩」は販売されていますが、なぜか商品名が「KOSHIN ODO SALT」と私の名前になっていたのに少し驚きました。アメリカで出版されている「塩辞典」を見るとやはり私の名前で「粟国の塩」が紹介されていました。米国という国は、生産者が大切にされる国柄なのかもしれません。

二つの出会い
日ごろは沖縄の小さな島で塩づくりをしていますが、島を飛び出すと毎回毎回素晴らしい出会いがあります。

廣木重之大使(中央左)と筆者(中央右)


今回は、ニューヨークの領事館にご招待を頂き、廣木重之大使から「日本の食材の高い品質をここ米国で是非浸透させて欲しい」と激励を頂きました。また、そこでは日本の物づくりの仲間たちとの交歓もありました。もう一つの出会いは、ノブ・マツヒサ氏との奇跡的とも言える出会いでした。
ノブ氏は日本食レストランで最も成功したといわれている経営者で、世界中に三十店舗以上を展開し、常に全店舗を巡回しているため超多忙で会うチャンスは無に等しいと聞いていたからです。そのノブ氏とニューヨークのアップタウンにある彼のレストラン〈Nobu57〉で偶然となりの席になったのです。

紹介され、塩の話もすることが出来ました。そのレストランは二百人以上の席がありますが、ニューヨークのセレブたちが箸を器用に使って日本食を楽しんでいました。彼らは、朝はジョギング、アフターファイブはナイキのショップでエアロビックスに汗を流し、平日は外食しても九時には帰宅するというライフスタイルですが、このレストランは深夜まで賑わって、セレブたちの日本食への思いが感じられました。

ノブ・マツヒサ氏(中央)と


そんな雰囲気の中で、日本の食文化が世界に受け入れられていることにわれわれは誇りを持つことが大切であり、日本人自身が日本食について再認識すべきではないかと思いながら、私も異国の地で日本食を楽しんでいました。

私が帰国して一週間後、未曾有とも言われる大災害が起こりました。報道などによると、放射能の風評により米国の寿司バーまで影響を受けているようです。
被災された方々にお見舞いを申し上げますと同時に、原発事故の早期収束を祈るばかりです。

(取材・構成/本誌編集部)


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