東北を中心に、関東も襲った大地震。晴天の霹靂だった。
一九九四年には、ロサンジェルス「ノースリッジ」地震、続いて阪神の震災があった。それらは当時はショックでも、忙しい現代ではもう遠い記憶になっていた。そして私たちはいやな記憶は忘れたい。
そのなかでアミがしっかり覚えたのは、非常用に太い油性のマーカー(黒や赤)を常備すること、これだった。彼女の友達のフィアンセが当時ロサンジェルスに暮らしていて、伝言をコンクリートやクルマのボディに書き残すのに役立った、と教えてくれた。さっそく用意したマーカーは、うちの玄関に置いてあるが、緊急時に手にとることが可能か?
人災もあった。オウムの地下鉄サリンは恐怖の記憶だ。廊下やロビーにまで酸素吸入器のジャックをつけた新築の聖路加病院の先見の明に感心した。
Be prepared――「備えよ、常に」はボーイスカウトのモットー。私もこれを心がけているつもりだった。しかしいざとなると、戸棚に缶詰がストックされてるなんて程度じゃすまないのだ。それが今回の教訓だった。
あなたはあのグラリの瞬間にどこにいましたか?私は、運よく家に戻っていたから二階に駆け上がってネコを抱いたけれど、ことはこれで終わらなかったのが今度の怖さ。地震に+どころか、×(かける)人災の東電の福島原発の事故。
地震後、北海道からある環境運動についての取材に訪れたカメラマンがいった。
「あの原子炉、ぼくずっと昔、取材したことがあるんだけど、まだ使ってたとは驚き! よそでは、とっくに廃炉にしてますからね。原子炉のメーカーも、炉の素材も、あの頃のモノは悪いんです」
今度の教訓は、私にとっては二つあった。
非常持ち出しのリュックは、あなたのおうちでも用意してあるだろう。うちではずいぶん前に、L.L.BEANの小型リュックをカタログ注文して詰めてあった。地震の翌日の土曜日は、美容院の予約があったのをキャンセル。何はおいても避難用グッズの点検をしなくちゃ。リュックを開けてみて驚いた。ムダなものがはいっている! アミが言った。
「ママ、これ重すぎるわよ」
そうなのだ! 私も以前よりトシとった。軽くなければ。中の非常食も古くなってる。持ち主も、中身も経年変化していると知った。さっそく減量作戦だ。ポルシェ製のナイロンの軽いリュックにした。 |