No.291







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●地味な性分だから、日常の食器も(陶なら)焼締や粉引など、(磁器なら)変哲もない白か染付の類いが殆どだ。そんなものを僅かばかり手元に置いて、飲み食いしている。ある日のこと、近所の雑貨的な店でふと目に触れた極々平凡な焼締の中形浅鉢と、同じシリーズの四方を各一、無駄(?)に買ってしまった。角皿の方はそこそこ重宝しているのだが、中鉢はまるで使う機会を得ず、手狭な食器戸棚の中でなんだか疎ましい存在となった。やれやれ、作り手には申し訳ない気分だ。斯くなる上は騙して誰かに押し付けるか(冗談です)、処分待ちの不要食器収納箱(そういうものを常備している)に移すしかないと結論し、食器棚から外した。
▲偶然の出合いだった。そこに買ったばかりの鶏卵が一パック置いてあったのだ。その卵十個を件の鉢に移してみると、思いの外収まりがよい。儂は卵たちを全部一茹でしてから、また器に戻した。メデタシ・メデタシである。「タマゴの類いは一切口にしてはならぬ」と、以前、医者に言われた。その宣告に儂は素直に従って好物の魚系粒々をすべて断ち、鶏や家鴨(あひる)や雷鳥や駝鳥の卵もすべて禁じ手とした。後々タマゴ類の有害説は否定されるが、綺麗さっぱりあきらめた粒々食い、おいそれと解禁する気にもなれない。但し鶏卵だけは例外とした。子供の頃に、犬と鶏数羽を一緒に放し飼いにしていた儂だから、人一倍愛着がある。無罪放免である。
■今、儂の机の片隅に半熟玉子十個が巣籠る彼の中鉢がある。その玉子を時々摘まみ食う。玉子だけじゃあなんだから、序でに麦酒の缶もプシュッとやるわけさ。それが日に二度・三度となるとやはり考えてしまう。なんだか後ろめたくなる…です。

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