アメリカの9/11 ―セプテンバー(ナイン)・イレヴンと同じように、日本にもマーチ(スリー)・イレヴンという凶々しい記念日ができてしまった。
ちがいは、片方は外敵、こちらは自然災害の大地震プラス「内なる敵」―山ほど原発をかかえ、地震や津波の危険を知りながら対抗措置を怠った電力会社と、それを放置した政府の無策という怖さだ。日本がこんなに脆弱な国だったとは!
マーチ・イレヴン以来、被災地でなくても生活が変わってしまった。ずっと西はともかく、少なくとも東京では、当分は遊びに行く気にならないどころか、いつも用心して暮す日々。余震だけならまだしも、別系統の地震が頻繁に起きるから安心できない。なぜなら危険な原発が東京の半径二百キロ圏内にゴロゴロあるのだ(日本中がこれに該当する)。
専門家によると、東京からたった二百キロ弱の中部電力、浜岡原発は活断層の上に建っていて、ここも長時間の電源喪失には対応策がないという!
何か起きたら自分の安全をどう守るか?―がアタマを離れない日々だ。政府なんて頼りにならないどころか、何もしてくれないに決まってる。
ずっと前から、エネルギー・ミックスが大事だと言われてきたのに原発に寄りかかってきた日本。電化、便利、能率を推奨してきたくせに、急に節電のため停電します、値上げします―とヘーキでいう東電、政治献金してないと大ウソをつく東電。安全に無為無策のうえ高給取りの原子力安全委員会、原子力安全・保安院。癒着の構造がやっと市民の目に明らかになった。「安全」なんてまやかしの命名。アメリカは「原子力規制」委員会。姿勢の違いが見える。
暮し見直しといっても、市民サイドでできるのは受け身の対策ぐらいだ。なぜなら、電気がこないとガスも点火しない仕様のガスレンジ。ガスのヒーティングも、電気がこないと働かない。電話もいまは多機能だから、電気がこないとプツンと黙りこむ。私たちがそれを欲しいと言ったわけじゃない。すべて造る側がそういうキカイを製造して、ほかの単純機器をやめてしまったのだ。
東京の地震も相当のものだった。あんな長い、強い揺れは生まれて初めて。揺れがおさまってすぐ、しっかり者のアミがやったのは、お米を三合炊いたこと。うちでは夜の食事にもご飯は滅多に炊かない。お料理とサラダだけですむからだ。朝はパンだし。お米ばなれの典型だろう。
「それも三合を二度炊いたのよ、ママ」アミに言われた。「一つはフリーザーにストック。停電してもいいようにね」
その晩はカレー。料理する気になれなかった。リーガロイヤルホテルのビーフカレーは、うちの常備品。冷蔵でなく「シェルフ・ストック」、つまり常温でストックできる。レトルトだからお湯で温めるだけ。それにクスクス、これは熱湯をかけて蒸らすだけ、ベビートマトやバジルを入れてさっとサラダに。いつも夕食はキャンドルで食べるのだが、こんな非常時は、逆にキャンドルはぜいたく品、電灯の下で食べる逆転が起きた。
翌日から、うちではアタマの総動員をした。福島の原発が、発表より悪く、その上さらに悪化することを予想すると、何が必要か? 東京から脱出する非常事態になったらどうするか? (これはムリという結論になった)。
アメリカでは一九七九年のスリーマイルアイランドで、一万四千人が自主避難したという。(私は事故の三か月後、ここの取材に行った)。チェルノブイリではホットスポット三十キロ圏内の住民は今も戻れない!
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