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いやはや、今年は梅雨が極端に短かった故か、作物の生育が悪く頭を悩ませている。トマトのように根を深く伸し、ヒゲ根で水を探し当てている作物は 少々の渇水にも強いし、味も濃くなるから好都合なのだろう。我が菜園では、トマトだけがたわわに実り毎日の食卓に彩りを添えてくれている。 が、同じナス科なのに、本家のナスやパプリカを始めとする唐辛子の仲間は萎れ切っている。いやいや、ナス科の植物はまだ何とか生きているのだが、 葉ものに至っては全滅に近い。当然のことながら、夏場に葉もの野菜の値が張るのは自分で育ててみて漸く解るのである。

専門家であれば、夏から初秋にかけての残暑厳しき折には、絶対に露地での葉もの栽培はしないと思う。ハウスの中にしっかりと日除の設備を施し、水も定期的に充分に与えているだろう。もしかすると、日照時間の調節もして居られるやも知れぬ。おまけに、専門農家の生産する葉野菜は虫の食べ痕など一つとしてないだろう。これは、農薬を用いているのではなく、フェロモントラップという文明の利器があり、虫によって異なるが成虫が葉に卵を産みに来る直前にフェロモンという媚薬を使って罠にかけるのだ。アッハッハー、と自嘲的に笑ってしまうが、我が菜園のようにレース状になってからでは、この便利な装置は意味を為さないのである。手で捕殺するか、それこそ農薬に頼るしかない悲しい現実。農薬はどうしたって使いたくないから、少しくらい見かけが悪くたって味がよければ、と、毎回開き直っている次第。

Kubota Tamami
だが、惨澹たる我が菜園の中にも、酷暑と日照りに強い素晴らしい作物がある。特に、モロヘイヤとヒユ菜の二つがその典型。そりゃーそうだろう、共 に原産地はアフリカとかの乾燥地帯だとか。モロへイヤは既に一般的に普及しているから説明の必要もないだろうが、お浸しのように湯通しをした後刻んでかき混ぜると、ネバネバになって来る。これに、醤油とカツオ節をかけてご飯に乗せて味わう。下ろしショウガや擂りゴマを施してもおいしいだろう。豚肉と炒めても素晴らしいけれど、火を通すと極端に目減りするから大量に用意しなければならない。一方のヒユ菜は、台湾や広東省でよく食べられている。この野菜は、何と云っても炒めものがよい。豚肉と腐乳(豆腐を発酵させたもの、沖縄の豆腐よう)で味つけると最高。好みによっては、 青唐辛子を刻み入れると更に風味を増し、かなり素晴らしいご飯の友となる。また、味噌汁やすまし椀の具に青物が欲しい時など、ヒユ菜を加えると大変に美しいしおいしい。

という次第で、熱帯になってしまったのかと思うくらい厳しい暑さが続くと、スコールのような雨が欲しい。出来るならば、夜中にしとしとと雨が降ってくれて、朝起きる頃に止んでくれれば云うことなし。しかし、天気だけはいくら念じても自由にはならぬもの。細長い日本列島の中では、必要以上の豪雨により大被害が出たり、降らぬ所では干ばつの被害も多く出ている。僕はどちらかと云うと自然主義で、いくら乾いても余り水は施したくないのだ が、いよいよ葉ものが萎れて来ると散水をせざるを得ない。

だが、我が棲み家の界隈では面白いジンクスがある。隣の畑で野菜を作られている八十八歳のお爺さんが畑に水を撒くと、決まったように翌日に雨が降る。そんなこともあって、近所のおばちゃん達は挙って「爺ちゃん、水撒きなはらんかねー」と噂をする。すると、数日してお爺さんが水を撒く。あら不思議、翌日本当に雨が落ちて来るのである。

この摩訶不思議な現象が何回か続くと、 嫌が応でもお爺さんに水を撒いて頂きたくなる。これが、我が家の雨乞い。


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