344


夏休みシーズンの東京にいたのは久しぶり! 街はすいてる、道路はがらがら。ネコたちものんびり、私たちは軽井沢への移動の苦労から解放されてほっと。
「東京って、空いてるとキモチいい!」
「うちでゴロゴロってラクー!」 
「青木繁展に行かない? ブリヂストンよ」
そう。これはまだ花の季節の『サライ』に東京では夏にやると案内が出ていて、私はめずらしく魔法の言葉みたいに「青木繁」とアタマのなかで繰り返していたのだ。

行ってよかった! ――と感動する展覧会はそんなにはない。東博の「近衛家1000年の名宝展」は白眉だったけれど、二度は行かない。でも青木繁は入れ替えを見るために二回、気温三十度以上のなか足をはこんだ。

三十歳にもならず夭折した天才は、明治という文明開化したばかりの日本の文化的な未熟さにも災いされ、ゴッホやゴーギャンに並ぶ才能だと思うのに、ルーヴルやメトロポリタンに収蔵されていると聞いたことがない。でもこれは、美術論ではなく、楽しく食べるおはなしの場。青木繁展のおかげで、すばらしいランチをエンジョイしたことを書かなくちゃ。

いま窓の外の寒暖計は三十七度。無能で卑劣な東電にお金を払いたくないから、エアコンは私の寝室だけオンにして、ネコたちもそこへ、私は予備のラップトップを書斎から持ちこんで書いている。
「あそこはティルームが〈赤トンボ〉のサンドゥィッチだすのよ」知らない店で食べるのには懐疑的な私が言い、電話嫌いなのに自分で番号をプッシュ。
「サンドゥィッチは八種類あります。予約なさったほうが、お好みのものが召し上がれます」気持ちいい声が言った。
電話の応答がいい店は信用できる――は、店についてのABCのトップ要件。さらに親切だったのが「十一時オープンですから、展示をご覧になってる途中でいらして、召し上がってから戻るのをお薦めします。そのほうが空いてますから」。

一階にあるティルーム〈ジョルジェット〉は、長谷川路可のポンペイのフレスコの複写が壁を飾り、オイスターホワイトの肘掛けイスの快適な空間。
予約してあったシーフード・ヴェジタブル・サンドゥィッチセットは、期待以上のおいしさだった。
サンドゥィッチは、いつも高島屋で買う赤トンボの店売りと同じのと、ここのための特製のヴァージョンがある。三十人前限定。私の頼んだのは「カニとマッシュルームのスクランブルド・エッグ」「ズッキーニ・フライ」「ブロコリ&シュリンプ・サラダ」「パプリカ―赤、キ、緑のサラダ」の組み合わせが二本。絵を見る間のブランチなら、二人に充分いく。 

セットの飲み物は、迷うほど並んだアラカルトから選ぶ。私は「タロッコ・オレンジジュース」。「シシリー島の赤いオレンジジュースです」の一言が利いた、そして大当たり! 甘い紅色、背高のたっぷりしたグラス。ダイエット中のアミは、夏らしいシトロン・プレッセ六百円にして大満足。 アミューズやデザートも、二人にそれぞれ。

日本の店じゃないみたいだ。東京のホテルも見習ってほしい! たいていの日本のレストランでいやなのは、杓子定規の応答、少量しかはいらないグラスの飲み物、一皿を二人でという注文にたじろぐなど、外国では当たり前のことができないから。ここは初めて行ったのに、まるで顔なじみの店に来たような居心地のよさだった。

サーヴィスは「コンダクター」の女性で、その暖かみと行き届いた心遣いが、この店のいのちだ。説明もとてもいい。オイスターホワイト(と私が勝手にきめこんだ)肘掛けイスはカッシーナのデザインで「二つつなげるとベビーベッドになります」。子連れの親の安心な顔が浮かぶ。隣りにすわった幼児連れの夫婦に「お子さまには無料で有機栽培のりんごジュースを」。

ティルームの名前のジョルジェット〈Georgette〉は、ルノワールの肖像画の女のコから――と彼女の言葉に、家に帰ってインターネットで見たら「座るジェルジェット・シャルパンティエ嬢」。明るいブルーのドレス、ブルーのソックス、茶色のヘアのぽっちゃりした愛らしい女の子だった。

東京のエスプリ、小さなサンドゥィッチ


ミュージアムは、いま海辺や島や山につくられて人々を誘っている。信楽、桃谷の山中にあるMIHOミュージアムは、I・M・ペイの景観を生かした建築がすばらしいが、レストラン、ティルームとも、自然農法の素材を使い、味も器もよくて感心した。

近くでは葉山の近代美術館をあげたい。二〇〇九年九月にフランスの版画家、アンリ・リヴィエールを見に行った。版画は日本人のと違う作風で興味深かったが、海の見えるティルーム、オランジュ・ブルウ〈Orange Bleue〉がいい。ガラスドアの向こうは板張りの露台で、海風が吹き、目の下に一色海岸がひろがる。私たちはそっちに席をとった。

シンプルなメニュを見ると、ハンバーガーとフレンチフライ千円がある。「これね!」とうなずいて、一つを二人で分けることにし、お皿やカトラリーを二人前もらった。フレンチフライがアメリカ風に山盛りで感動。となりのテーブルで「ランチ二千円―三千円」のどれか高いのを二つとって食べてるシニア夫婦が「しまった!」の顔でこっちを見たのがおかしかった。

いいミュージアムには共通点がある。基本は、展示のよさ。次に内容とならんで内装も大事だ。青木繁展は展示室の壁が、グループごとにオフホワイト、淡いブルー、煉瓦色など変えてある。そしてトイレットがきれい、いいティルームがある、ショップもいい等。葉山のショップは小さいながらしゃれていた。図録がよくて割安だとうれしい。アンリ・リヴィエール展は二千二百円。青木繁展は二千三百円、しかも絵はがきが五十円で感動! よそは百五十円とる!

ミュージアムは、言ってみれば「おとなの遊び場」だ。映画館は高いし、図書館は規則が多すぎる。いいミュージアムで楽しもう!

.
.


Copyright (C) 2002-2011 idea.co. All rights reserved.