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昔から「秋茄子は嫁に食わすな」などという、お嫁さんを蔑ろにした格言風の言葉が存在している。今の時代であれば、秋茄子は嫁に一番にでも食べて貰わないと、家庭崩壊に繋がるかも知れない。かつての日本は男性中心の社会構成であり、女性は子孫を継承する手段であり家の中の雑事をこなす為の道具に過ぎなかったのだろうか。今でも地方の農村の一部にはこうした悪習慣が残っているとか、だからお嫁さんがなかなか嫁いで来ないのではあるまいか。どうやら日本では、儒教の教えを都合のよいようにねじ曲げて解釈したような気がしてならない。

ともあれ、秋茄子は頗るおいしい。茄子はトマトなどに比べると、その寿命は相当に長い。夏がそろそろ終わりかけると、トマトやキュウリの収穫量は極端に低下する。その頃の茄子も同様に、花は咲くけれども実つきが悪くなる。こんな時を見計らって、茄子の幹を思い切ってバッサリと剪定するのが上手な茄子の育て方だそうである。この剪定にはかなりの勇気が必要、花はおろか後数日で立派な茄子になるのに無情にバサバサとハサミを入れねばならない。地上から五、六十センチ付近で主幹を切り落とし、幹から伸びている枝も同様に切り落とす。夏の真只中に勿体ないような切り方をしておくと、いつの間にか茄子は再生し葉も幹も活発に繁り出す。よくよく考えてみると、残暑が厳しい時に中途半端に大事を装おうと、却って茄子が暑さで弱り為にならないのかも知れない。おまけに、この時期はカメ虫などの天敵も多い。

Kubota Tamami
という次第で、えいっやっと刈り込んで一か月ばかり放っておくと、新しい芽を一斉に伸ばして茄子は嘘のように蘇る。しかも、新しい枝には美しい紫の花が一斉に咲き、あっという間に実を着けてくれる。これが、秋茄子だ。実の大きさはかなり小振りだが、風味が強く唸るほどにおいしい。この茄子に丹念に塩を施して、糠味噌に漬け込むと見事なくらい美しい色を見せてくれる。が、その美しい茄子紫の色は、ものの五分で退色してしまうから、食事の際如何にして食卓に出すかが腕の振るいどころ。メインのおかずをあらまし食べ終わった頃に、味噌汁か吸い物椀と共に出すと効果的。いわゆる、懐石料理などの手順と同じように出せばよいのだが、我が家のように夫婦二人きりだと、先ず茄子の色を愛でて高貴な味を楽しんでから本格的な食事と相成る。

またこの秋茄子、てんぷらにするとおいしいし、美しさを楽しめる。てんぷら屋さんに行くと、せいぜい二片くらいしか出ないから、茄子の四分の一程度。茄子ばかり味わって会計のメーターが加算されるのは癪だから、店では本当の秋茄子の味は堪能出来ない。当然のことながら、味噌汁の具としても最高だが、それでは余り量は食べられない。ここで、何故量にこだわるのかと申し上げると、我が菜園の茄子、道の駅にでも出したいほどに毎日実るのだ。と言ったって、わずかに四本くらいしか植えてないのに、少なくとも毎日二十個くらいの実りがある。そこで女房殿が思い付いたのが、釘煮という昔からあるおばん菜。丸のままの茄子に五ミリ間隔くらいの感じで、丁寧に斜に包丁を入れ筋目をつける。これを醤油、酒、味醂、砂糖で味を整え芯まで柔らかくなるまで煮付ける。この時に、錆びて赤くなった鉄くぎを二本ばかり鍋に忍ばせておき、茄子と一緒に煮付けるのだ。こうすると、不思議や不思議、茄子の色が鍋全体に広がり、まるで染め物の壷の中のような色になる。この料理だと、一回に五、六本は食べられるし容器に入れて保存も出来るし冷凍も可能。これから二週間は、茄子料理が続くに違いない。


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