76







沖縄は、その位置の関係からアジア各国からの様々な文化的影響を受けながらも、琉球王国として独自の文化を築き発展させてきました。そのため沖縄には本土にあるような昔からのお節と呼ばれる正月料理はありませんが、沖縄ならではの正月料理があります。しかし、戦後には本土からお節や雑煮の風習が沖縄に入ってきて、現在では、お節料理も珍しくなくなっています。

沖縄の正月料理といっても地域や島々により違いはありますが、大晦日には、豚の骨付き肉の入ったソーキそばを食べ、正月には豚肉入りのクーブイリチー、豚の内臓を使った中身汁、田芋(ターンム)などがよく食べられます。


クーブイリチーのクーブは昆布、イリチーは「炒めながら煮る」という意味です。江戸時代、沖縄は北海道から中国へ昆布を輸出するための中継基地であったため昆布を沢山食べるようになったといいます。
栄養豊富な昆布は、沖縄の長寿食材の一つとして沖縄料理にはよく使われています。また、内地と同じように昆布は「よろこんぶ」といって縁起の良い食材としてお祝いや正月には欠かせない食材です。


田芋は、里芋の一種で、高温多湿地帯の水田で広く栽培されています。輪切りにすると中は薄紫色で、味と食感は里芋とさつま芋の中間といった感じです。少し粘り気があり、香りと風味に富んでいます。カルシウム、ビタミンB1、鉄分など栄養分を多く含んでいるため、これも沖縄の長寿食材の一つとなっています。
また、田芋は芋の周りに次々と小芋が生まれ、芽をだして茎が伸びて増えていくことから子孫繁栄のシンボルとされ、縁起がいい食材として正月料理には欠かせません。料理としては沖縄風田楽などにします。


戦前まで沖縄は、日本一の養豚県でした。地方の農家はもとより、城下町の首里や、商家の多い那覇界隈でも、豚を数頭ずつ小規模に飼っている家が少なくありませんでした。
甘藷(さつまいも)が年中獲れて飼料に困らなかったせいもありますが、何よりも沖縄の料理で一番大事なのが豚で、食生活には欠かせない存在だったのです。
今ではほとんどなくなってしまいましたが、沖縄では、正月を迎える準備のために、大晦日に各家では一頭の豚を解体しました。「豚は鳴き声以外すべて食べる」といわれるほど沖縄では大切な栄養源であり食材でした。足、顔、耳、臓物、脂肪ほか余すことなく調理して食べ尽くします。
大晦日に解体された豚の臓物は時間をかけて綺麗に処理します。その処理に欠かせないのが海塩です。胃袋、大腸、小腸などに海塩を入れ丁寧に揉み洗いします。海塩の殺菌効果とともに臓物の臭みはなくなっていき、さらに臭みがまったくなくなるまで揉み洗いし、その後塩漬けにします。また、正月に使わない豚の部位は保存食として塩漬けにされ、神事やお祝い事があるときの料理に使われます。


豚の内臓とコンニャクなどが入った「中身汁」

沖縄の正月料理の定番は、やはり「中身汁」です。中身とは、豚の臓物のことです。この豚の臓物と椎茸、コンニャクなどが入った吸い物で、琉球王朝時代から伝わる伝統的な料理です。
臓物料理は豪快で荒々しい感じがしますが、出来上がった中身汁は、いのちを頂くことへの感謝の気持ちを込めて下処理をしていますので臓物とは思えない美しさです。カツオ出汁と塩、しょうゆの繊細な味付けと相まってあっさりとした味わいで、沖縄のお祝い事、特に正月には欠かせない逸品といえます。


粟国島のお正月にはマースヤー(塩売り)という新年の行事が行われます。この行事はここ粟国島でしか行われない貴重な新年の行事です。
今でも旧暦で正月の行事を行って、旧暦の大晦日(今年は一月二十二日)の夜からお祝いの琉歌
(琉球の歌)を歌いながら、子どもたちは琉踊(琉球の踊り)を踊りながら集落のすべての家庭を巡ります。
各家庭では「金の塩、銀の塩」などと塩を称える寿ぎの言葉を唱え、行く年への感謝、来る年への願掛けの祈りを奉げ、一年間塩の霊力を拝借したことへの感謝の祈りを奉げます。すべての家庭を廻り終えるころには、海からゆっくりと新年の初日が上りかけています。
このマースヤーの行事は数百年も受け継がれているといいます。遠い古から粟国島の一年は塩で始まり塩で終わるのです。きっと塩の霊力、生命力を古の人たちは知っていたのでしょう。



.
.

Copyright (C) 2002-2012 idea.co. All rights reserved.