No.300







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●山径もない・人のニオイのしない天然の樹林の中を小藪をわけながら…あるいは深い雪に被われた樹林の中を板 (スキー)を佩いて(独り・二人で)静かに彷徨うときに、肉体がカタチを失い、意識だけとなって微かに揺らぎながらユルリ流れていくような感覚に浸ることがある。すごく気持ちいい。

▲儂が「儂」と意識する実体は実は細胞という名の無数の独立した生命体の集合であり、その儂自身がまた地球という名の生命体の一細胞に過ぎず、その地球もまた宇宙という名の生命体の…といった案配でキリがない。いやキリがなくては困る。あれは忘れもしない十九の春だった。自分の(美学上の)テーマだった二次元上の作業を終え、もっと高次元の空間へと意識の拡大を図ろうとしたときに、「無限遠の空間も無限小の一点もイコールで、同じ形体上の一面に過ぎない…」と感じた。物理も数学も知らぬ儂の勝手な妄断に過ぎないけれど、そうしておくと便利なので以来ずっとそう思い続けている。若い頃、片手間に美楽(学)のレクチャーをしていたことがある。学生相手に幾つかの講座を持ったが、共通するコンセプトは「内臓感覚を意識せよ!」だった。皮膚から街へと触覚や意識の拡大を図るに当って、先ずは己のヌメヌメとしたトポロジックな内臓空間を意識することからスタートする…ということ。

■儂のカラダはざっくり描くと上図のようなカタチをしている。AからBへと、酒とその肴がエロチックに絡み合い、微かに揺らぎつつゆらゆらと流れて行く感覚が心地よい。山中で感じる空気感と共通している。カラダが消滅して流れだけを感じるときが、儂にとっての美味しいときなのだ。ボージーソワカーー。

●「山賊亭」は今月号をもって終了します。ご愛読ありがとうございました。
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