351


いつでも、どこでも気軽に取り出して食べられる携行食――といったら、だんぜん、おむすび! それも焼きむすび。ゼッタイにおいしい!

私はおむすび大好きニンゲン。日々の暮しには、ご飯はなくてもパン! というパン・スキーなのに、焼きむすびだけは別格だ。

作り方でみると、おむすびには、外側を何か(シソや海苔)でまく(ギリシャ料理のブドウの葉のように)、中に何か(梅干し、鮭、肉の佃煮)を詰める(ピロシキみたいに)、ご飯に何かをまぶす(じゃこやタラコ)など、さまざまだ。でも全体を黄金色に焼いて表がパリっとした焼きむすびの美味にまさるものは稀。

実は最近、発見したヒット作がある。これをまずお知らせ。千葉の地震が続いた不気味な三月、アミは夜ごと、ご飯を一合炊いて、小さなおむすびにして停電に備えたことは、前に書いた。

翌日、なにごともなくホッとしつつ、私たちは少し固くなったおむすびを前にアタマをひねった。どうしよう? うん、これだ! 私は、鉄の重いフライパンを取りだした。
「オリーヴオイルたっぷり入れて焼くのよ」
ちょうど、七個のおむすびがはいった。鋳鉄の鉄のまっ黒いフライパンは重いけれど、アメリカではキッチンに欠かせない道具のひとつ。大型はベーコンを真っすぐ、ぱりっと焼くのにいいし、小さいのは目玉焼きやポテトのスライスを焦んがり焼くのに向く。

以前は、焼きむすびは網で焼くものだった。能登は珠洲の湯宿「さか本」で出された、土地のイワシからとったイシルをまぜて、オーヴンで焼いた焼き結びに開眼。焦げやすく時間もかかる網焼きはヤメよう、ときめた。鉄のフライパンならルンルンで、外は黄金色のパリッとし、中はオイルでつやつや! ができあがる。粟国の塩をちょっとふって、キッチンに置くと、あっというまに消えてしまう。

以来、しばしばこれをつくっている。ぜひお試しを。オリーヴオイルは、エクストラヴァージンでなく、普通のほうで大丈夫。

私のいちにちは、ルヴァンの全粒粉二十五%のコンプレ というパンのトーストで始まる。ご飯を食べない日はあっても、パンのない日は考えられない。なのに、おむすびだけは、ゼッタイにこの焼きむすび、そして長距離のドライヴも、サンドゥィッチでなく、これだ。なぜって、サンドゥィッチは中身がこぼれる! とにかくいちど走りだしたら、給油以外はストップしたくない。目も耳もすべて走行に集中、クルージング第一の走りをするから、それにはお弁当の機能性が大事、同時に美味なこと。その答えは焼きむすび。

「京都の往復も、これだったわね」と私。
「帰りは、ホテルの和食が〈たん熊〉だったから、よーく焼いた小さな焼きむすび、そしてキュウリのスティックをたっぷり、細かいものはいらない」とフロントに伝言。店一番の人が作ってくれ、小ささ、焼き加減、大成功だった。
どうしてお弁当というと、たいていの人がお弁当箱にご飯とおかずを詰めるのか、なぜおむすび(焼いたのでなくても)にしないのかフシギだ。おむすびなら、帰りに邪魔になるお弁当箱なんかない。空いた菓子箱を再利用で使えば、捨てて身軽になれる。
列車のときは、席にテーブルが出る「悠々環境」だから、サンドゥィッチや、パンとお料理を別々に持っていって、自分でおいしくまとめる。車内売りを買って食べるのはお金を捨てるようなもの。

ANAの機内誌『翼の王国』(WINGSPAN)の、「お弁当の時間」という連載が好きで、私は真っ先にそこを開く。でも、おむすびはほとんど登場しないのがふしぎ。(サンドゥィッチもほとんどない)。お弁当箱という容器にこだわると、ご飯とおかず、になってしまうのかも?


焼きむすび、こんどはバターで試そうかな?


買うおむすびで、私が好きなのは、〈名古屋の天むす〉だ。でも、名古屋のならどこのでもいい、というわけじゃない。ゼッタイに「ここのでなくちゃ、食べない」という店の天むすだ。
それは「めいぶつ 天むす 千寿」という店で、この長い名前は、ほかにも「天むす」を名乗る店が増えてきたための個別化のためという。

ずっとまえ、たしか東海テレビに行ったとき、「有名な天むすを食べたい、買って帰りたい」と言ったら「この道をまっすぐ行ったところにある〈天むす〉です」とタクシーに指示してくれた。

そこで初めて、初代女将の藤森晶子さんに出逢った。大柄でほがらか、ひとめで「あ、これだ」と閃く雰囲気。彼女は店頭で、しっかり采配を振るっていた。自分で握っているおむすびだ。ぱりっとした海苔を巻いた、ほどよいサイズの三角のおむすびのてっぺんから、揚げたてのエビの赤い姿が見える。

お店でできたてを食べ、おみやげ分を買って帰った。首を長くして待っていたアミが、感激した。
「銀紙にピチっと包んであって、きゃらぶきがちょうどいい分量。丸梅みたい。ムダがなくておいしい」と、いまはもうないが、女将さんの腕と気風で知られた、四谷の料亭にたとえた。
藤森さんは伊勢の出。伊勢の天ぷら屋夫婦の賄い料理で食べ、教えてもらったのを元に一九八〇年名古屋で始めた。「当時はうちだけでした」。
ここの天むすは、名古屋に行くたびに買って帰るが、断固としてつくりたてにこだわるから、行ったときでないと買えない。

最近、松屋銀座に「名古屋の天むす」というのが一週間、出店した。形は同じに見える、そっくりさんだ。私とアミは、前に立ってひと思案。
「ひとつだけ、ちょうだい」に、店の人は呆れ顔。
やっぱり! すぐクルマに乗って二人で分けて、一口かじって失望と納得の両方だった。
麹町の開新堂のお菓子も、配達なし、自分で行って買う努力をしないと食べられない美味だが、藤森晶子さんの天むすも、行かない限り食べられない。でも、そういう店があるのは、いまは少ないぜいたくで、すばらしいことだと思っている。


.
.


Copyright (C) 2002-2012 idea.co. All rights reserved.