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日本国内の旅、なかでも京都や金沢だと、私たちはうきうきする。好きなお店でおいしい和食を食べよう! ところがじき、別の悩みが生まれる。「お野菜ポチイ!」だ。

旅先では野菜の採り方が足りないのだ。和食は、先付け、お刺身、焼き物、お椀、蒸し物、八寸、焚き合わせと、目と舌は大よろこびながら、野菜は焚き合わせにあるぐらい。からだのほうが野菜をほしがる。うちはヤサイ・スキー、とっても野菜を食べる家庭なのだ。たぶん、旅先で食べる野菜は普段の十分の一ぐらいだろう。

でもこれは習慣で、血統ではない。明治生まれで九十八歳で亡くなった父は野菜嫌いで、子供が用意したサラダなんか見向きもしない。自立した老人だったから、自分で買い物と食事の用意をするのが自慢で、野菜の定番は、オークラの野菜のポタージュ(トマト、コーン、パンプキンの三種)とアスパラガスの瓶詰め・缶詰だった。よくこんな偏った食生活で長生きできると驚いたものだ。

日本はいい野菜が豊富に穫れるわりに、肝心の日本人は野菜嫌いが多いのじゃないか。にんじん、ほうれん草を嫌う子供がとても多いのは、親の暗示のせいかと私は疑っているのだが。大人は「子供は野菜キライ」と決めこんでる節がある。

小学時代、クラスで「嫌いな野菜を挙げなさい」と先生に言われて、私はハタと困った。「キライ」がなかったのだ。でも無いといえば先生はウソつきと思うにちがいない。必死で考えて、やっとお正月のお口取りにあったクワイがモッタリと味のない妙な野菜だったのを思い出した。「クワイ」と答えたとき、先生は満足げににったりした。先生ってチョロイな、と思った。

野菜キライ、野菜食べない――は栄養が偏る。民放のコマーシャルは、日本の暮らしのサンプルだけど、ついこの間は、緑色のジュースをワイングラスで飲んでいるのを見た。うー、まずそーと思ったら「日本人の栄養は炭水化物に偏ってヴィタミンが足りない」だからこれを飲もう、という。ケーキやポテトチップス、コンビニ弁当で暮らしていればね。

娘の友達が勤め人で一人暮らしをしていたとき、料理嫌いでチンだけで食べていたら、栄養不良で脚気になった。戦争中や昔の船乗りみたいに。

「おかあさまが恥だわって呆れて、週一回大泉から通ってお料理してストックを置いてくの」

娘が笑った。ほんとは一人暮らしだって、アタマひとつで上手に、おいしく食べられる。彼女は〈暮らし無能力〉が売り物の女だった。

一人暮らしがみんなこうではない。アタマ次第、小さな努力次第だ。大海原をヨットのシングルハンド、つまり単独航海するのは勇気がいるが、こういうヨット乗りは暮らしの知恵でいっぱいだ。小林則子さんがリブ号で一九七五年に太平洋横断をなしとげたとき(記録として日本女性初)、彼女は「孤独な海を楽しむために、二十四種のスパイスといろんな食料」を積んで出た。レースで優勝を狙うヨットの中には、レトルトと乾燥食料しか積まなかった船もある。

イギリスのフランシス・チチェスターは、一日二百マイル走り、二十日で四千マイル航行という目的の単独帆走でも「船上サラダ菜園」を作った。ペーパータオルにクレソンとカラシナの種を蒔いて育て、サンドゥィッチにしたのだ。暮らしを楽しむ意識があれば、荒海の小舟でも、食事にヴァラエティを持たせることができる。

おいしい野菜料理があれば、夕食は肉なしでいく!



私の観察では、食べ好きの家庭は、料理人が偏っていない。女もする、男もする、母親もする、子供もする、こういう家庭は食べてハッピーだ。主婦ひとりに荷重がかかると、料理は楽しみから苦役になる。食卓に出るものはいつも似たり寄ったり。野菜は炒め物か煮物、漬け物、サラダは切っただけのキュウリにマヨネーズをドローリ。これじゃ、野菜好きにはならない。「隣の晩ご飯」は、飛び込みで夕食のテーブルを映す、覗き趣味のおかしな番組だけど、家庭での野菜の実態が見える。

夏に限らず、野菜ってなぜあんなに重なるのか?セールでお茄子を袋いっぱい買ってくると、誰かがどっと「畠でできたの」とお茄子を持ちこむ。アメリカではこれがズッキーニだ。どうやって消化しようか? 昨日好評だったからと今晩も出せば、誰も手をつけない――飽きやすさは女心だけじゃない。

答えはフランスやイタリーにある。眺めるのは本かCS放送だ。新しい情報なしに、かしこくは生きられない。サプルメントや栄養剤のCMが氾濫するけど、野菜食べ人間はそんなものから自由だ。野菜はクスリや肉より安い。

世界の野菜料理はいま進化の一歩をたどっている。ヌーヴェル・キュィジーヌの影響で、野菜見直しがあちこちで起き、野菜のおいしさに目覚めたのだろう。それを使わなくちゃ。フランスのロブション、パトリス・ジュリアン、イギリスのジェイミー、イタリーのリディア――CSや本でお目にかかる。

外国の料理番組がいいのは、とてもダイナミックにやることだ。「あ、こんないい加減でいいのか!」とわかると気楽になる。大さじ一杯とレセピにあっても、実際は大量にきざんでお鍋に投げ込んでいる。デンマーク女王のシェフを務める日本人は、路傍で摘んだ草を洗わずにクレープに入れたっけ。そう、きれいで火を通すなら、それでいい。

パトリス・ジュリアンに今年は実に救われた。お茄子はトマトやズッキーニと並ぶプロヴァンスの産。山とくるお茄子をラクラクこなして、とてもおいしく、おしゃれに食べた。日本だけの料理法では煮るか、しぎ焼き、京都風にでんがく、お漬け物。

お料理はインターナショナルでいくのがいい。知恵をよその国に借りる。すると、ひとつの野菜が料理法で鮮やかに別の顔を見せてくれる。スライスしてグリルするのと、蒸してペチョっとさせたのでは、味がぜんぜん違う。それらにさらにニンニクやオリーヴオイルや醤油を加えて味を積み重ねていくと、まったく新しい味に仕上がる。こんな使い方があるの! と驚く世界がひろがる。


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