私の観察では、食べ好きの家庭は、料理人が偏っていない。女もする、男もする、母親もする、子供もする、こういう家庭は食べてハッピーだ。主婦ひとりに荷重がかかると、料理は楽しみから苦役になる。食卓に出るものはいつも似たり寄ったり。野菜は炒め物か煮物、漬け物、サラダは切っただけのキュウリにマヨネーズをドローリ。これじゃ、野菜好きにはならない。「隣の晩ご飯」は、飛び込みで夕食のテーブルを映す、覗き趣味のおかしな番組だけど、家庭での野菜の実態が見える。
夏に限らず、野菜ってなぜあんなに重なるのか?セールでお茄子を袋いっぱい買ってくると、誰かがどっと「畠でできたの」とお茄子を持ちこむ。アメリカではこれがズッキーニだ。どうやって消化しようか? 昨日好評だったからと今晩も出せば、誰も手をつけない――飽きやすさは女心だけじゃない。
答えはフランスやイタリーにある。眺めるのは本かCS放送だ。新しい情報なしに、かしこくは生きられない。サプルメントや栄養剤のCMが氾濫するけど、野菜食べ人間はそんなものから自由だ。野菜はクスリや肉より安い。
世界の野菜料理はいま進化の一歩をたどっている。ヌーヴェル・キュィジーヌの影響で、野菜見直しがあちこちで起き、野菜のおいしさに目覚めたのだろう。それを使わなくちゃ。フランスのロブション、パトリス・ジュリアン、イギリスのジェイミー、イタリーのリディア――CSや本でお目にかかる。
外国の料理番組がいいのは、とてもダイナミックにやることだ。「あ、こんないい加減でいいのか!」とわかると気楽になる。大さじ一杯とレセピにあっても、実際は大量にきざんでお鍋に投げ込んでいる。デンマーク女王のシェフを務める日本人は、路傍で摘んだ草を洗わずにクレープに入れたっけ。そう、きれいで火を通すなら、それでいい。
パトリス・ジュリアンに今年は実に救われた。お茄子はトマトやズッキーニと並ぶプロヴァンスの産。山とくるお茄子をラクラクこなして、とてもおいしく、おしゃれに食べた。日本だけの料理法では煮るか、しぎ焼き、京都風にでんがく、お漬け物。
お料理はインターナショナルでいくのがいい。知恵をよその国に借りる。すると、ひとつの野菜が料理法で鮮やかに別の顔を見せてくれる。スライスしてグリルするのと、蒸してペチョっとさせたのでは、味がぜんぜん違う。それらにさらにニンニクやオリーヴオイルや醤油を加えて味を積み重ねていくと、まったく新しい味に仕上がる。こんな使い方があるの! と驚く世界がひろがる。
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