No.222





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●一食ごとの腹に詰める飯粒の数を長年ごく少量に抑えてきたのに、加齢にもかかわらず何故か最近はちょぼちょぼと増量しつつある。食後の腹が少し重く感じることもあって反省するのだが、反省の甲斐なく次の一食もついつい行き過ぎてしまう。とにかく、ご飯やご飯の搾り汁(?)が旨くて敵わんのだ。白いご飯の上にしょっぱい珍味の類いをちょい載せしたり、あるいはお茶をぶっかけ「ちんちろりんのさーくさく」なんていうのが嬉しい。また一方には季節季節の色んな具材を炊き込んだり混ぜ込んだりする〈変わりご飯〉もあるわけだが、これらに対しても滅法、儂は目がない。

▲確たる「ふるさと」のカテゴリーを持ち合わせてはいない儂は、年中の行事やその集まりで、土地土地の(変わりご飯を含む)伝統的なご馳走を会得している人を、ちょっと羨ましく思っている。それでも野草の嫁菜や土筆から始まり、桜や菊の花、青豆や蚕豆などの豆類、青菜や雑穀、胡桃や銀杏などの木の実、茸類、筍や芋や大根、鮎や浅蜊(あさり)や蛸八などなど……見様見真似に色んな変りご飯を試みたりするわけで、一年がそれなりに結構忙しい。

■秋めいて恋しく思うのが、儂の場合は栗ご飯でもなく松茸ご飯でもなくまずは零余子(むかご)のご飯なんですね。山芋の根っ子を掘るのは大変だけど、その珠芽の方はぽろぽろと簡単に採れるからありがたい。形状的にはいつも山で見る兎や鹿や羚羊の糞を連想させられて困るのだが、あのほろりとした食感と味覚が堪らんのです。零余子飯をやや大きめの茶碗に盛り、蝗か蜂の子の甘露煮でも副菜にして、あとは豆腐の汁と某かの漬物でもあれば儂は大満足であります。

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