270


その一画は、近づくとほっとする。黒い瓦屋根の二階家が三棟つづいて、緑のささやかな植え木が微風に葉裏を返している。歩道に置いた鉢に、店の主人丹精の植物が育っているだけなのに、コンクリートの街に、緑と木の格子戸がにんげん臭い。

「きつ音忠信」と白抜きにしたのれんをくぐってカラリと格子戸を開けるのもうきうきする。ガラス張りのドアや、ピカピカの格子戸でなく、磨き込んだ古い木の格子戸がうれしいのだ。台東区役所から同じ筋なのに、あたりは人影もない。

きつ音(ね)忠信の名でわかるように、ここはおいなりさんの専門店。主人は代々忠信を名乗るくらい、いなり寿司に賭けている。歌舞伎と同じ名の店なんて、それだけでも小粋じゃないか。はいると、おかみさんが「いらっしゃいませ」とささっとカウンターに現れる。いつまでも若いきれいなひとだ。つづいてつるり頭のご主人が「何にいたしましょう」と訊く。
「そうねー」私は娘と顔見合わせて、「おいなりさん六つとのり巻き三本」
「のり巻きは?」「かんぴょうで」

お客と主人が対面交通するお店は、昔は当然だったけれどいまは稀だ。お客の注文を訊くと主人と女将さんは、夏は青磁の瓶、冬は桶からご飯を出し、つくりはじめる。二人の息がしっくりあっている。私たちはカウンターの脇の小さなガラス棚の小さな小さな細工物に目を吸い寄せられる。八百屋やせとものやの店先、人力車や金魚売りをあしらった小さな町並みは、『助六』の品かと思ったら、京都の玩具だとか。五ミリあるかないかの緑のカエルが歌ってる人形は、土でなく京都の焼き物。彼らの乗った平たい舟は、ご主人の手作りだ。

こんなところがまだ東京にあったの! とは、こういうお店だ。ここのおいなりさんとのり巻きは、滅法おいしい。有名なおいなりさんは、子供のときから折々に食べる機会があるが、甘すぎる、ねっとりすぎる、大きすぎる、で敬遠するけど、ここのは別だ。

おあげの煮方がいい。ほのかな甘味、中に詰めるものがまた、しゃれている。しゃりっとしたレンコンが二切れ、黒ゴマとショウガがご飯の味わいを引き立てる。帰りのクルマの中でほいほいとつまんでしまう。のり巻きはシソ巻とカンピョウ巻がある。

東京はいま、何度目かの大改造期を迎えている。住宅街すらビル化して、巨大アパートメントビルになり、ガラス張りのオフィスビルと高さを競っている。銀座の変貌もものすごい。『東京人』(04年10月号)も、銀座から消えた店を特集したことがある。読むと、あれ、あの店も無くなったの! と驚いてしまう。

ドイツ料理のケテルスがない。イエナ書店はとっくに消え、ディオールになってしまった。アミは「だれがあんな店に行くの? イエナのほうがずっといい」と怒っているけど、時代の流れはこわい。久兵衛の近くの平野屋は、こぎれいな小間物を扱う銀座らしい店だったが、これも移転。山の手の少女は、ここの七つ道具(はさみやとげ抜きなど、ぜんぜん使わないのに、嗜みとして必ず持つもの)をおとなからもらったものだ。朱と金の切れの、はぎ合わせの小さなたとうにはいっていて、私はそれをほかのものと一緒に江戸東京博物館に寄贈した。戦前の女の子の暮らしは、もう博物館の資料になるのだ。


前に縁台を持ち出して涼めそうなお店


銀座の並木通りからすぐの交詢社は、長いこと水色のシートに覆われていた。四年がかりの改築で、去年の暮れオープンした。ここは男ばかりの社交クラブで、歴史は古い。いまも女性は会員になれないのが保守的だけど、本来イギリスでクラブが発達したのは、家が女の城で、男は女に譲らなければならないから、男だけの空間で息抜きをしたい、と始まった歴史があるからまあ許そう。

久しぶりに行ったら、一、二階はニューヨークのバーニースになっていた。ドアマンが二人、お客にドアを開けるところから、入り口のジュエリーの台までニューヨーク風にしているのがちょっと笑える。エレベーターで交詢社に上がると、忽然と現れた古めかしい雰囲気。ここにも「失われた時」があった。ラウンジは薄暗く、そういえば交詢社はいつも薄暗かった。

ホワイエと呼ぶのか、食堂の手前の細長い空間に立つと、壁の一部に古い石の建材が使われている。昔の建物からきれいにはがして、生かしているのだ。天井から下がる大きな舵輪のような黒々した照明器具や、壁の貝殻のレリーフが美しい。祖父の肖像画はそこにかかっていて、いま見ると「なんだ、おじいちゃまって若いじゃない」と驚いた。もし六十歳ごろの肖像画なら、いまなら壮年期だ。

交詢社の一階には、サンスーシイという静かなバーがあったと思うが、これもいまはない。私も失われた時の一部なのか、黒や青の大理石にガラスの空間より、こういうほっくり包み込むような部屋に入るとほっとする。大理石とガラスは企業乗っ取り屋のオフィスにピタリじゃないかしら。

新しい店でも、古いものを大事にして落ち着いた空間をつくるところもある。主人の目次第だ。牛込の納戸町といえば、神楽坂の隣の坂。ここにうちのひいきの「志ま平」というおそばやが半年ほどまえ店を開いた。ご主人が凝って、古い道具をうまく造作に使い、味も雰囲気もいいお店になった。古い板戸を下見に張った壁、土蔵の扉を生かした戸棚、カウンターは山武の杉の一本もの。古さに押し付けがなくてすなおな雰囲気、近ごろ珍しいうれしいお店だ。

味も抜群だ。鴨汁せいろや、せいろ、シンプルなかけそばがおいしいのはもちろんだが、蕎麦が素材の小体なひと皿、ふた皿を出してくれるのがありがたい。おそばだけでは場が持たなくても、気のきいたお皿が出ると、しゃべりながらくつろいで食事ができる。

食べる場所も「いま」しかないと落ち着かない。着古した服が着やすいように、古い美しいものに囲まれて、主人とときおり静かにしゃべれるお店はうれしい。「タイムスリップができるお店ね、あそこも」帰りしな、アミがつぶやき、

「ぎすぎすキカイ人間から脱出できるところ」私も同意し、「来月はそのテーマでいこう」と言ったのだった。


.
.


Copyright (C) 2002-2005 idea.co. All rights reserved.