銀座の並木通りからすぐの交詢社は、長いこと水色のシートに覆われていた。四年がかりの改築で、去年の暮れオープンした。ここは男ばかりの社交クラブで、歴史は古い。いまも女性は会員になれないのが保守的だけど、本来イギリスでクラブが発達したのは、家が女の城で、男は女に譲らなければならないから、男だけの空間で息抜きをしたい、と始まった歴史があるからまあ許そう。
久しぶりに行ったら、一、二階はニューヨークのバーニースになっていた。ドアマンが二人、お客にドアを開けるところから、入り口のジュエリーの台までニューヨーク風にしているのがちょっと笑える。エレベーターで交詢社に上がると、忽然と現れた古めかしい雰囲気。ここにも「失われた時」があった。ラウンジは薄暗く、そういえば交詢社はいつも薄暗かった。
ホワイエと呼ぶのか、食堂の手前の細長い空間に立つと、壁の一部に古い石の建材が使われている。昔の建物からきれいにはがして、生かしているのだ。天井から下がる大きな舵輪のような黒々した照明器具や、壁の貝殻のレリーフが美しい。祖父の肖像画はそこにかかっていて、いま見ると「なんだ、おじいちゃまって若いじゃない」と驚いた。もし六十歳ごろの肖像画なら、いまなら壮年期だ。
交詢社の一階には、サンスーシイという静かなバーがあったと思うが、これもいまはない。私も失われた時の一部なのか、黒や青の大理石にガラスの空間より、こういうほっくり包み込むような部屋に入るとほっとする。大理石とガラスは企業乗っ取り屋のオフィスにピタリじゃないかしら。
新しい店でも、古いものを大事にして落ち着いた空間をつくるところもある。主人の目次第だ。牛込の納戸町といえば、神楽坂の隣の坂。ここにうちのひいきの「志ま平」というおそばやが半年ほどまえ店を開いた。ご主人が凝って、古い道具をうまく造作に使い、味も雰囲気もいいお店になった。古い板戸を下見に張った壁、土蔵の扉を生かした戸棚、カウンターは山武の杉の一本もの。古さに押し付けがなくてすなおな雰囲気、近ごろ珍しいうれしいお店だ。
味も抜群だ。鴨汁せいろや、せいろ、シンプルなかけそばがおいしいのはもちろんだが、蕎麦が素材の小体なひと皿、ふた皿を出してくれるのがありがたい。おそばだけでは場が持たなくても、気のきいたお皿が出ると、しゃべりながらくつろいで食事ができる。
食べる場所も「いま」しかないと落ち着かない。着古した服が着やすいように、古い美しいものに囲まれて、主人とときおり静かにしゃべれるお店はうれしい。「タイムスリップができるお店ね、あそこも」帰りしな、アミがつぶやき、
「ぎすぎすキカイ人間から脱出できるところ」私も同意し、「来月はそのテーマでいこう」と言ったのだった。
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