しかし、当時は金銭的なゆとりがないこともあって、外食をするのならば家に帰って作った方が安く済むことに気がついた。と申すより、既に所帯を構えていたこともあり、女房殿と待ち合わせて帰宅し食事を取るのである。が、六畳一間に僅かばかりの台所の狭い新居は、夫婦二人だけということは余りなかった。絶えずどちらかの友人が転がり込んで来るので、毎日が賑やかな夕食となる。
これが問題であった、二人でも苦しいのに毎日の食客だ。経済的にも大変なのである。いや殆ど収入などないのだから、最初から破たんしていたという方が正しいのだろう。だがしかし、有り難いことにアパートの界隈の八百屋さんや魚屋さん鶏肉屋達が、我々の窮状を見兼ねて助けて下さったのである。
八百屋さんは、残りものの大根の葉っぱのおいしい食べ方を教えて下さったし、魚屋さんは鯛や平目のアラを取分けて置いてくださり、その料理の仕方を丁寧に伝授してくれた。鶏屋さんは鶏屋さんで、鶏ガラや手羽先の先を用意して下さり、スープの取り方を細やかに教えて下さった。つまり、当時の僕達は商店街の方々の善意に支えられて暮らしていたのであった。
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