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十五年ばかり前のことだが、静岡の蔬菜(そさい)作りの名人と言われている方の家を取材したことがある。総理大臣賞だったか農林水産大臣賞を何回も受賞された方で、チンゲン菜や小松菜を見事な程にハウスの中で育成されていた。

種は、数日置きに正確に蒔かれ、その区分毎に背丈もきっちりと揃えるのがよい育て方であるらしい。名人の御自慢は、一つの株から出る葉っぱの枚数が決まっているらしく、何枚だったかは忘れたが、無造作に引き抜いた株の葉の枚数は確かにどれも同じであった。このことは、いかに同じ条件で育成させるかということが重要なファクターであり、温度、湿度等の諸々の事柄をしっかりカリキュラムに沿って行うそうである。

現在では、コンピューターという便利なものが普及したからデーターの蓄積も容易(たやす)かろうが、当時は克明にノートをとったわけである。


Kubota Tamami

僕は感心しきって、言葉も出ない状態であった。取材が終わり、引き上げようという時、
「自宅の方でお茶でもいかがですか、手揉みの旨い茶がありますから」

嬉しいお言葉に釣られて後に付いて行くと、ハウスの外の茶畑の間にひねこけた野菜が植えられていた。形は不揃いで虫食い後もある。

「あっ、あの野菜は鶏にでもやるんですか」
と、たずねると、

「いやいや、あれは自家用。形は悪いけんど味はいいだらー」

「あのハウスのは召し上がらないんですか」

「あはっ、あれは商売用だらー。農薬肥料がきついもんで、毎日は食べれんけんのー」

それからのことはよく覚えていない。恐ろしくなったことだけは、事実である。爾来、食べ物に関する意識が変わった。毎日漫然と食べていたものの、出所や品質が気になり出したのである。無農薬や低農薬、有機肥料による野菜や果物の存在も勿論のこと、いわゆる化学調味料とか添加物を使用していない食べものを、知らず知らずのうちに求めるようになって来た。


と、どうだろう、自分の舌が敏感になって来たのか、化学調味料の入ったものは直ぐ分かるようになって来た。食後の、ベタッとした舌に纏わり付くような甘さが気になり出したのである。
困ったのは、ラーメン好きの僕が、それ迄旨いと思っていた店のラーメンが食べられなくなってしまったのである。

第二次世界大戦の後の物不足の時に、俗にいう旨味調味料の存在は、確かにありがたかったと思う。出汁を取ろうにも、何も手に入らない時代だ。それが、 ちょっと粉を振りかけるだけで、明らかに旨味を増したのだから…。

ところが、日本の経済が発展して、何でも手に入る時代になった。ラーメンのスープも、鶏はもとより豚骨、鰹節、鯖節、昆布、煮干し等々、何でも自由に使えていい出汁が取れるのだ。
にも拘わらず、せっかくいい出汁が取れているのに、最後の仕上げに魔法の粉を入れてしまう店が多々ある。これは、勿体無いとしか言い様がない、と同時に旨味調味料の味に慣らされてしまった多くの方に同情する。

不遜であると思いながら、世の中の傾向を憂いていたところ、イタリアにスローフード運動なるものがあることを知った。アルチゴーラ(アルチの美食家)という、食文化を守ろうという認識の下に一九八六年に結成された、まだ比較的新しい団体である。

この運動に共感したのは世界の食文化、即ち人間の本来の暮し方生き方を、真摯に前向きに取り戻そう、というものが感じられたからである。しかも年に数回、真に旨いものを食べようという会でもある。この集いが、日本にも結成された。即入会したのは、言う迄もない。この会が、今後どうなるものか、はたまた日本の食がどうなるか、楽しみである。