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僕の得意な料理というと、やはり中国料理ではあるまいか。といったって、北の複雑な料理は難しい、至って簡単な炒めものがいい。しかし、炒めものと申してもただ炒めればよいということでもないので、そう簡単にはことは運ばない。

まず第一に、中華料理をやっている厨房を覗くと、火力の強さに驚かされる。ややもすると、火柱が一メートル近く立ち上がっているのだ。その火柱をものともせず、鍋を布巾で掴んで振り回さなければならぬのだ。僕も、周富徳さんのレストランの厨房で、炒めもの用のレンジで挑戦してみたことがある。正直なところ、火傷をするのではないかという恐怖感が先にたち、鍋を煽るどころの話ではなかったことを思い出す。

中華の炒めもののコツは、出来るだけ強い火で素早く仕上げてしまうことが、旨いものを産み出す秘けつのようである。つまり、炒めるというより、素材を強火に一気に当てて瞬間的に火傷をさせるようなものであろう。だから、素材の旨味や栄養分が損なわれ難いのである。さりとて、一般の家庭の台所の火力では、プロのようにはいかない。僕のキッチンはセミプロ用の二重バーナーを使ってはいるが、それとてプロの五分の一程度。だが、これでもうっかりするとシャキシャキ感がないことがある。

よく、「炒めものはおいしいけれど、家で作ると煮えたようになって、シャキシャキ感がない」なんて話を聞く。そりゃー弱い火でコトコトやっていたら、煮えてしまって不思議はない。例えば、小松菜を炒めるとしよう。この小松菜だが、まるまる一束を火力の弱い火で炒めようとするところに無理がある。せめて半分ずつにするとか、さっと湯にくぐらせてから、熱々にした中華鍋で炒めれば、先ず煮えるようなことはないだろう。鍋に湯を沸かし、そこにゴマ油を大匙一たらす。煮立ったところに、小松菜の葉の方を掴み根の部分だけ湯に浸す。二十秒ばかり浸したところで手を放し全体を湯を通してザルにあける。しっかり水を切って、炒めるという寸法だ。


Kubota Tamami

もう一つ、炒めながら調味料をあれこれ探しながら料理なさる方がおられる。これも、野菜を煮てしまう原因ではなかろうか。僕も時折調味料を入れ忘れたりすることがある。だから、出来るだけ事前に手順通りに加える調味料を、小皿に入れて順番にならべておく。先ずは、油。次にニンニクとショウガと唐辛子。豚肉と和える場合には、豚肉。そして、野菜。味付けには、塩の代わりに塩っぱい漬け物とか、腐乳(豆腐を醗酵させたチーズのようなもの)やXO醤を用いるので、それ等を酒とスープ(チキンブイヨンか昆布だし)に溶き、器の中で合わせておく。そして、香り付けの為の醤油と胡椒。これらを、鍋を返しながら順次加えていくのである。が、時間にしたら一分あるかないかという瞬間芸である。


このように、塩を使わずに味を調える方法は、中国三千年の歴史が産み出した技であり、東坡肉(豚の角煮)を杭州などで煮込む時も塩漬けの冬菜と老酒で煮込んで味を染ませていた。よく用いるのに搾菜があるが、炒飯の味付けにこの搾菜を使うことくらい皆さんも御存知であろう。従って、本格的に漬け込んだ糠味噌や塩のよく効いた新巻鮭なんかも、塩の代わりになる。中国では喊魚と呼ばれている干物がある。しっかり塩に漬け込んだ後、天日に晒した魚だが、これを細切りにして塩の代わりに使う。魚の持つアミノ酸やらイノシン酸が、干物を使うことによってまろやかに作用し、ひいてはおいしいものが極めて自然に生み出せるのである。

スープにしてもそれが言えるだろう。地鶏を弱火で煮出す時、金華火腿(中国ハム)を拳骨大加え、味を更に深める。鶏の味を損なわずにコクを醸し出すのである。要するに、中国では野菜の旨味や魚の旨味、肉の旨味を何気なく引き出し素材にそれとなく加えてやることが巧みなのである。だから、日本古来の昆布、鰹、煮干しの出汁も疎かにしてはならないと思う。今、行列を作っているラーメン屋も、こうしたことを独自に開発し、他店との差別化を計っているのではあるまいか。しかし、店によっては折角いい出汁が出ているのに、化学調味料を使ってあたら味を崩してしまっている。ともあれ、野菜炒めのようなシンプルな料理こそ、塩や化学調味料を使わずに、自然の旨味を引き出すことが重要ではないだろうか。