7




三月の上旬、つまり啓蟄の頃に蒔いた唐辛子の苗が、目の前に控えた梅雨を待つかのようにぐんぐんと伸び始めている。多分、皆さんは馬鹿馬鹿しいと思われることだろうが、現在我が家には四十種近くの唐辛子の苗が育っている。

何で唐辛子を育てているのかと申すと、辛いものが大好きと言うこと以上に、唐辛子の育つ過程が可愛くて仕方がないのである。白や紫がかった小さな可憐な花が終わると、次々に実を付け始める。この実がまたまた愛らしい。淡い緑、濃い緑、黄色、紫、黒等々、しかも形が種類によって全て異なるのだ。いかにも唐辛子という様のものや、ピーマンのようなもの、バナナのような格好をしたものもあれば、細くてながーいものがある。天を突き刺さんとせんものもあれば、だらりと垂れ下がったものもあり、観葉植物としても大いに楽しめるのである。

あれっ、唐辛子は赤いんじゃーないの、と思われた方も居られるだろう。が、唐辛子は完熟してようやく赤くなるのである。いや、赤くなるものもある、と申し上げた方が正しいだろう。熟れても黄色のままのものもあれば、黒いまま熟れるものもある。よくスーパーで売られているカラーピーマン、あれが熟れた色なのである。


Kubota Tamami

さて、唐辛子というとさぞかし辛いのであろう、と思われがちだがさに在らず。からーいものもあればあまーいものもあり、これを確かめる作業が愉快なのである。大体女房殿と一緒に行うのだが、互いに一喜一憂の繰り返し。真っ赤な顔をして汗をだらだらと流したり、涼しい顔をしてにこやかに微笑んだり。他人が御覧になったら、何と愚かな夫婦と思われるのだろう。この試食会だけは、非公開にしておかねばなるまい。

てな具合で、味見を終えてからオリーブオイルに漬け込んだり、酢漬けにしたりはたまた乾燥して料理に用いたり、その用途を考えるだけで楽しくなるのだが、韓国料理のキムチに用いる唐辛子だけは、韓国を訪れた時に購入することにしている。何故かと言うと、白菜を一樽(五、六個)漬け込むのに、少なくとも三種類の唐辛子を二、三キロ用意しなくてはならない。


となると唐辛子畑だって相当な広さが必要だし、唐辛子専用のミルを用意せねばならない。それに、甘い唐辛子やら味に深みのある唐辛子、そしてやや辛いがコクと香りのある品種を育て上げる自信はない。

とにかく、唐辛子というやつはモラルがないというか節操がないというか、何時の間にか勝手に自然交配してしまい、この唐辛子は辛くなかったと思っていても、翌年種をとって蒔くと激辛になっていたりする。ま、教育と同じで、親の思う通りには中々育っては呉れないところが、面白いと言えるのではなかろうか。

そもそも、唐辛子は中南米が原産地とされているから、メキシコのバザール(市場)を訪れると、季節によっては二十種ちかくの様々な唐辛子が売られており、これをメキシコの主婦達は巧みに使い分ける。青くて香りのよいものはサラダに用いたり、サルサと呼ばれているソースに使って、トルティーヤに鶏肉料理をはさんだりする時に薬味のようにして味わう。また、シチューのような煮物には、甘くてコクのあるポプラーノという種類の唐辛子を使っていた。で、唐辛子は辛いもの、という先入観だけは捨て去って頂きたい。確かに、ハバネロと呼ばれているものは、少し齧っただけでも唇がただれる程に辛い。だが、このハバネロをオイルに漬け込みパスタやサラダかけると、料理が抜群においしくなる。ひょっとすると唐辛子は魔女のスパイスかも知れない、とさえ思うようになって来た。

僕がよく行く築地の場内にある大和寿司は、典型的な江戸前寿司の店である。したがって、ネタの上にさっと刷毛で煮きりという醤油をベースにしたタレをつけてくれる。だから、紫などは必要ないのである。この煮きりの中に、マレーシア産のチリパリという青唐辛子を刻み込んで貰うと、白身魚が格別に旨くなる。魚の匂いを唐辛子が消してくれた上、さらに爽やかなワサビとも異なるキリリとした味わいをもたらせてくれるのだ。どうか、唐辛子の旨さを再認識して頂きたいと願うのだ。