この頃ずい分、人々は食べることに興味をもって来たようにみえる。私にとっては、大変に嬉しい事だ。

私が小学生の頃、学校には立派な食堂があった。全校の建物の中心で、低い斜面にある広い台所と大きい階段でつながっていた。母親達が交代で、ここで毎日美味しい食事を作ってくれるのである。

こんなことは、現代では無理だ、と思われる。たしかに食堂を作って昼食を取る学校でさえ、その水準はかなり低いのである。しかし、 世紀の人間性を、もう一度よく考えてみたい。今日のいわゆるグローバリゼーションに、すき間風が吹き抜ける様相なのは、「食」を軽視していることに、大きな理由があるかもしれないのだ。

例えば、パン、である。

世界の多くの地方で、日常食べられているパンだが、旅してみると、これが実に面白い。そして、おいしいのである。

西ヨーロッパでは、パンは酵母菌などによって、ふっくらと焼き上げられる。しかし、これとは違うやり方で、パン又はパン類似の食物を作るところも多い。最近は、日本でも売っているところがあるが、ユダヤの平べったいパンなど、なんともいえない香気をだしていて、美味しい。

日本で一流といわれているホテルでも、朝食のパンの種類は、私が欲張りのせいか、どうも貧弱である。国際的なビジネスマンといわれる人達は、朝から商談で忙しく、何を食べているのか、意識もしなかったのであろうか。

しかし、そんな商談が行き詰まってきたのが 世紀である。私達が欲しいのは、生活から離れてしまった製品ではない。生活を本当に豊かにしてくれるものこそ、欲しいのである。

或る朝、今までにないものを食べた。その美味しさが、生活に新たな彩りを加えてくれた。そんな食事こそ素晴らしいのだ。


Copyright (C) 2002-2003 idea.co. All rights reserved.