東京は銀座の食堂の娘として生まれた私は、何でもモリモリ食べてスクスク育った。

小学生になると、両親からのうれしいプレゼントがあった。毎週土曜日の昼、「スエヒロ」のカレーライスをおごってくれると言う。両親はお店が忙しいので、弟とすぐ近くのスエヒロにお皿を持ってカレーライスを買いに行き、家に持って帰り食べるのである。土曜日が待ちどおしくて、学校にいても落ち着かない程であった。このころの家庭のカレーは『カレー粉』と呼んで、うどん粉カレーである。たまにぺらぺらの小さな肉がうかんでいた。スエヒロのカレーは、大きな肉や野菜がゴロゴロ入っていて、夢のカレーライスであった。

中学生になると、食堂をやめた両親が釣に凝り、新鮮な魚があふれた我が家は、漁師町の家庭のようだった。が、釣れない日もある。その日のために我が家では、カレーを一年中作り置きしていた。このころアメリカ製の冷蔵庫が手に入り、作り置きができるようになったのだ。同時に、日活映画に入社。社員食堂では、石原裕次郎さん、浅丘ルリ子さん、吉永小百合さん、高橋英樹さんなどのスターが、わんさか食事をしている。でも私、昼食にカレーを食べることはなかった。午後の三時、つまりおやつにカレーを食べたのである。日活スターの中で、だれよりもカレーを食べたのではないかと思っている。

1985年、私は、北極点をめざした。カナダ北極のレゾリュ−トがベースキャンプとなる。そこのロッジのご主人が、何と、インド生まれのカナダ人であった。北極の野菜動物の入ったカレー、しかも、南インドの本格的なカレーライスを北極で食べられるなんて、と大感激。そのおかげで、17年も北極を訪問している。さて、私も54歳になった。ただいま、湯豆腐の残り物にカレールーを入れたものが定番になった。これが、さっぱりして、実にうまいのである。


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