忘れもしない。あれは昭和三十四年春、巨人のオープン戦が大阪で行われたときのことである。まだ新人アナだった私もこのオープン戦に同行していて、試合のあった夜、先輩アナウンサー共々運動部長主催の夕食会に出席を許された。場所は北新地のスエヒロ、すきやきで有名な店であることくらいは知っていた。ここに、前年巨人に入団していきなりホームラン王と打点王の二冠をとり、すっかりティームの顔となっていた長嶋茂雄と、この年早実から入団した人気者、王貞治が招待されていたのだ。二人とはもう顔見知りで親しくしていたが、薄給のスポーツアナは高級感ただようお座敷での食事に緊張気味であった。そしてこの日、初めて「しゃぶしゃぶ」なる料理にお目にかかったのである。

恥ずかしながら見たことも聞いたこともなかった。うすく切られた霜降りの肉が冷凍状態で大皿に乗り、前で釜のお湯が沸騰している。

なんだこれは、どうして食べる、おもわず王選手を見ると、「わぁおいしそうだ。いただきまーす。」と箸で二、三枚の肉片をすくいとると、さっと熱湯につけ、タレに浸し、大きな口に一気に放り込んだ。まだ坊主頭の高校生が大人に見えた。私には考えもつかないぜい沢な食べ物、食べ方であった。恐る恐る口にしたしゃぶしゃぶのおいしさは、今更説明するまでもない。この時社会人になれた実感がたしかにあった。

私のような昭和一ケタ生まれの世代は、物心ついた時から戦争、戦争で、食生活を楽しめる時代ではなかった。戦後、まず驚いたのは進駐軍のアメリカ兵が口にしていたコンビーフの缶詰め。新宿東口にあったホームラン軒のラーメンは高校時代放課後直行する程魅力的だった。大学時代は渋谷食堂のハヤシライス。ちょっと気取ってスプーンを使っていた。飽食の時代と云われる今、若者たちは、食に感激しているか。食にしらけ気味の孫達を見ていると、ちょっと心配である。


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