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●下北半島の某所で、沢沿いに、ひと気のない小さな露天の温泉を見つけて、早速その湯溜まりにとび込んだ。なかなか宜しい。湯の縁に蛇の脱け殻がこびりついていたので、私たちは、それを〈蛇ノ湯〉と呼ぶことにした。観光バスが通りかかって、一時停止した。〈蛇ノ湯〉は観光道路から丸見えだったのだ。バスの窓から女性たちが手を振るので、私も思わず立ち上がって手を振ってしまった。乗客の手にはご丁寧にビデオカメラまで……。湯の中から手の届く処に、零余子(むかご)をたくさんつけた山ノ芋の蔓が伸びていた。湯に浸かりながら、零余子を摘まんでは齧った。何ンだかそこら中がかゆくなってしまった。

▲前に住んでいた街には同じ道路を挟むように、二軒のKINOKUNIYAがあった。一軒はよく知られたおしゃれなスーパーマーケットで、もう一軒は恐ろしく鄙びたちっぽけな八百屋さんだ。その小さな方の店では、例年、秋になると零余子が笊に盛られて少しだけ売られた。時期時期に、同じ笊に
通草(あけび)の実が盛られたり銀杏が盛られたりする。一笊だけ買って酒の摘まみにするのが、私の密やかな愉しみだった。郊外に移り住んでからは、逆に、零余子を売る店がまだ見つからず、もう何年かあれを口にする機会がない。

■春先に通草の芽を摘むのも通例のことだけど、何故か、秋にその実を目(手)にすることがほとんどない。そもそも春のそれと秋のそれが同一の植物であるという事実にも得心が行かないのだ。天然を採取できなければお店に頼らざる得ない。通草の実(その分厚い皮の方だけど)は味噌味で炒めたりする。相変わらず苦いものに目がない私である。


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