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●薮睨みの季節だ。里山の竹林をかすめて山に入るとき、「あわよくば筍の一本ぐらい……」と、ついつい横目がちになる。思うだけで、まだドロボーしたことはない。〈竹酔日〉なるものがある。五月一三日だ。ただし七月七日(七夕)同様これは旧暦である。今風には、今年は六月二三日にあたる。とまれ、「目には青葉、薮筍で、鰹もうまい」てな季節では、ある。竹の酒をかっぽかっぽと呑みながらうまい筍を貧りたいもの。

▲筍の季節がどんどん早くなってしまった。甚だ遺憾に思う。経度・緯度が西・南へ向かうにしたがって筍の時期が早まるのは道理だけど、それだけが理由とも思えない。未熟な筍(という言い方も変だけど)を「偉い」と勘違いしている向きも多いのではないかしら。独断と偏見を恐れずに書かせてもらえば、生白く薫りも、えぐみも、歯応えも乏しい、腑抜けな未熟筍なんて真平御免だ。四月中頃から孟宗の子、五月下旬から淡竹の子、さらに苦竹の子や根曲がり竹の子と続く。東京周辺を転々として来た私にとって、秋刀魚と筍はやっぱり目黒に限る……ナンチャッテね。

■こどもの頃、農家のオバチャンが朝掘りの筍を担いで売りに来た。青っ洟を垂らした悪ガキたちが、筍のサヤで三角に巻いた梅干をしゃぶっていた。妙なことをするなーと思いつつ、羨ましくなって母に強請(ねだ)ったりした。空気の匂い・土の匂い・植物たちの匂い……あらゆる感覚に過剰に反応した少年時代のあの筍の味覚が忘れられない。かっぽ酒(これは成長してからの体験・呑める機会は少ない)は若い淡竹の稈を徳利代わりにして囲炉裏端で炙る。竹紙が溶け込み、竹瀝(ちくれき)も滲んだ、仙人の酒だ。


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