.



.
.

●たとえば春なら、木ノ芽(通草の芽)のお浸しや稚鮎の天ぷらを食らい、舌の付け根あたりでうきうきと苦味三昧に耽る。例年欠かせぬ儀式のようなものだ。そして暑い季節の苦味の代表選手といえば、これはもう沖縄県出身の苦瓜クンを措いて他にないだろう。ブラックコーヒーをすすりつつ、ある日儂は考えた。人はなぜこうも苦いものに惹かれてしまうのか――。〈苦い〉は甘い・塩っぱい・酸っぱい……といった通常の感覚とは趣を異にしていると思う。

▲人以外の生き物は(人だって幼い頃は)、通常、苦いものに対して警戒心が強い。苦味を毒物のシグナルとして不快に思うものだ。逆にいうと、ある種の生き物が外敵に食われてしまわないように身につけた防禦手段でもある。アルカロイド系・テルペン系・配糖体系・アミノ酸系・ペプチド系などの苦味成分は、(自然界においては)主として植物類が保持するケースが多い。「良薬口に苦し」の言葉がある。「毒を以って毒を制す」である。毒も少量なら薬理効果が期待できるというわけだ。でもそれだけじゃあ苦さを好む理由にはならない。舌の冒険というか、インディ・ジョーンズ的にスリルを覚える……人間だけが有する癖性・遊び心なのだよキット。

■えーと、それで苦瓜のことである。儂の場合は沖縄風の炒め物ではなく、小口から薄くスライスしたものに削り節と醤油をかけて生食するのを好む。ビールを以て苦瓜を制す。もう一つ、昨年試みて病み付きになったのが〈苦瓜の味噌漬け〉である。こいつのために、ついご飯を食べ過ぎてしまう。ヨワイを重ねても一向に苦味の走らぬ儂の顔だけど、味覚だけは矢鱈苦い方へと突っ走っている。


.
.

Copyright (C) 2002-2003 idea.co. All rights reserved.