時は流れ、人が移ろい、そして町もまた変貌する。そんな当たり前のことすらこの町は飲み込んでしまうのかもしれない。五百年の時を経てもなお、この町は独特の有り様を持ち続ける……曖昧の町金沢。
金沢は北陸の古都などと呼ばれる事があるが、これは大きな誤りである。その歴史で金沢が都であったことは無く、天正十一年(一五八三年)前田利家が七尾から金沢に入城した時から始まる四百年あまりの武家文化の町として捉えられる。そんな百万石の城下町のイメージが強い金沢だが忘れてはならない、もうひとつの顔がある。それは利家入城以前の百年あまり、一向衆が尾山御坊を中心に支配した宗教都市としての歴史である。民衆が支えた自治都市金沢の姿を忘れるわけにはいかない。宗教が支配する自治都市金沢(尾山)をいかに治めるかが、戦国大名前田に課せられた大きな命題であった。一向宗にとって仏敵とも云える織田方の前田である。
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