『日本海名物図会』の古式入浜

 


塩作りは先人たちの知恵

塩は水や空気のように、人の生命に欠かせない大切な地球のめぐみです。太陽系で海が存在する唯一の惑星である地球に、人類は誕生以来、何らかの方法で塩をつくり、食べてきました。

日本は古来から、海水を濃縮して土釜、石釜で焚いて塩の結晶を採るという方法で塩をつくってきました。縄文時代の遺跡から、海水を煮詰めて塩をつくったとみられる円錐形の土器がたくさん発掘されます。世界的には岩塩が主流ですが、日本には岩塩層も塩湖も存在せず、気候的に太陽と風の力で海水を蒸発させてつくる天日塩もできません。

日本の塩づくりは、塩田で濃縮した海水を煮詰め、平釜で焚く、焙烙で炒る、焼き塩にするといった、手間と熟練の技を必要とし、今も脈々と先人たちの苦労と知恵が引き継がれています。

奈良時代には、海藻を焼いた灰を煮立てて、上澄みから塩をつくったという記録もあります。近年、江戸時代の城や大名屋敷、大店の屋敷跡から、焼き塩の壷が発掘されています。それは、湯のみ茶碗ほどの大きさの素焼きで、細かく砕いた塩を壷に入れて、もう一度、釜で焼く手法です。松の木で焚き、壷についた煤が燃える過程で、にがり(苦汁)成分が飛び、壷の中の化学反応によって、繊細な味の塩ができあがります。

安土桃山時代に堺、長崎から発祥したと伝えられ、上流階級では、塩焼きの鯛を食べるときに使われました。安政元年(1854年)の瓦版に、幕府が黒船ペリーを接待した宴会の二の膳に、鯛と焼塩壷が描かれています。まさに食卓塩のルーツです。

昔の塩は、塩をつくるのに大量の薪とエネルギーを必要としたため、高価だったようです。讃岐の国では、熟練の勘と経験をもった火を焚く塩職人は、別格の賃金を得ていたといわれ、松林が壊滅したという塩の話が残っています。

微妙な塩加減はアート感覚

イタリア料理の心得として、「オリーブ・オイルは気前のいい、大らかな性格の人間に、バルサミコ(酢)は用心深く、もったいなさそうに使う“しぶちん”にまかせなさい。しかし、塩だけは“賢い人間”に使わせなさい。」と言い伝えられています。これは食材の美味しさを活かす微妙な塩加減のむつかしさを表現したものです。

日本の板前も、店に入ってくる客の顔を見て「この客はゴルフ帰りで汗をかいている」と直感すれば、濃い味にするといわれています。この絶妙な板前の塩加減の感覚を科学的に分析してみると、美味しいと感じる塩分の濃度は0.9%、1.1%では濃く、0.7%では水っぽく感じられます。

塩を扱うことができる人間の感覚は、まさにアートだといえます。平釜でつくっていた時代の塩は、にがりを含んだウェットな塩だったので、今の塩に比べ約二倍のかさ(嵩)があり、デリケートな味の調整ができました。つまり、今の塩は二倍の濃縮で、塩の美味しいと感じる幅が狭いために、料理の味つけがむつかしい塩ともいえます。

料理人の感性に近く、微量な塩加減を勘で正確に使い分けられるような「塩分が二分の一の軽い塩が作れないか」という思いが、私のこだわりの第一歩です。

かるーい塩を求めた旅

昭和四八年に米国テキサスの塩のシンポジュ―ムに出席。この機会に米国の塩事情を見聞したいと各地の岩塩鉱や塩湖を視察していた折、デトロイトで、液表で結晶をつくるアルバーガー・ソルトというフレーク塩を発見しました。これまでの真空式蒸発缶でできるサイコロ状の正六面体の結晶とは違う、同じ容量で重量が約半分という塩の結晶と出会ったときの驚きが、私の軽い塩づくりのきっかけとなりました。

その後、ギリシャ、イタリア、スペイン、フランス、オランダと私の軽い塩の系譜を求めた旅が続きましたが、五年後にロンドン郊外のオックスフォードの食料品店で、ふたたび胸がときめくような“かるーい塩”に出会いました。ろう紙に包まれ、10センチ角の長さ20センチほどの塩の塊、「カットランプソルト」です。岩塩を溶かして煮詰め、木箱に入れて乾燥させたもので、まるで軽石のような塩です。自然の岩塩のなかには、灰色に濁ったものや重金属、好塩菌など、身体に害を及ぼす不純物が混ざったものがあります。

この削って使うカットランプソルトには、ひとの知恵を強く感じます。私は今、日本の食材をいかし、調味料として使える美味しい塩―塩屋として誇れるようなこだわりの塩づくりに挑戦しています。“素性のいい海水”から「軽く、使い勝手のいい塩」を開発することが、新しいクッキング・ソルトとして、多くの可能性を秘めていると思います。

塩のルネッサンス

平成14年4月から塩は完全自由化になりました。塩専売の100年の歴史は、高品質、低価格、安定価格を課題とした塩の産業革新でした。日本の塩の自給率と高コストの二つの問題を解決したのは、イオン交換膜法という画期的な海水濃縮技術です。

これによって、純度の高い塩化ナトリュウムを効率的に抽出、農耕的な製塩から工業化に成功しましたが、今の時代が塩に求める新たなテーマは、使い勝手の良い、ヘルシーで美味しい塩です。多様化した食文化に最適な塩を提供する知識とノウハウが求められています。

塩の歴史と伝統の中に育まれた塩の価値を再発見し、新しい価値を創造していくこと、これが塩のルネッサンスだと私は考えております。

(文責・増田幸右)

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大川吉弘 yoshihiro okawa
ジャパンソルト(株)社長
1939年生 塩問屋の栃木塩業三代目を継ぐ。
平成8年、塩元売の協業組合「日本塩商」を設立。
平成14年4月、塩の完全自由化に伴い、
塩の専門商社をめざしてジャパンソルト設立。