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福岡の能古の島に居を移して、あっと言う間に四か月目に入った。引っ越し当初は、未完成の家に住みながらの片づけものに追われて、周囲の方々がどのような暮らしをしているのかも判らなかったし、全くと言ってよいほど人の見分けがつかない。何はともあれ、お会いする方々が誰であれ挨拶だけは怠らぬよう心がけていた。

が、松が明けてしばらくすると、何となく心にも余裕が出来て島のことを見回すことが出来るようになり、挨拶だけではなく世間話を切り出せるようになってきた。と、面白いもので、たった十分の乗船時間ではあるけれど、対岸の博多へ往復するフェリーの中で多くの人との会話が弾むようになったし、驚いたのは玄関先や庭の片隅に野菜やミカンがどかっと置かれるようになった。

いやはや、ご近所の方であることだけは間違いのないことなのだが、お礼をしようにも誰が置いて下さったものか判らない。そこで、それらしき人に目星をつけて、東京から菓子を買って帰り手渡して、それとなく様子を探る。今のところ、五人の方と話をして三人までは判明したのだが、後の二人は誰なのか気になって仕方がない。要するに、島の方はシャイなのである。とは言え、会話を拒絶すると後で後悔するに違いない。ということで、出来うる限り寄り合いにも参加するよう心がけている。寄り合いと言っても、最後はカラオケ大会だ……。

島の人々の様子が分かって来るに連れ、島の自然にも目を向ける余裕が出て来た。能古には居なかった筈のイノシシが最近出没し、農作物を荒らしているらしい。町内会の回覧板にも、再三イノシシに注意のおふれが出ている。イノシシは、二キロ弱の海を泳いで能古に来たらしい。数名の漁師さんが、十年ほど前に見かけたそうである。

Kubota Tamami

能古には未だかなりの原生林が残っており、その大半は照葉樹。しかし、最近は孟宗竹と真竹が繁茂し、原生林を凌駕しつつある。その分、水質が悪くなったとか。とは申せ、博多という都会の中心地から、直線で七キロばかりの距離にある島。信じられないほどに緑豊かな土地である。これだけでも、移住した甲斐がある。

自然の中で嬉しいことは、ほとんど車が走っていないから、空気がきれいなことだろう。散歩していて気付いたのだが、木苺がそこかしこに生えているから初夏が楽しみだ。もちろん、タラの木もあるしワラビも芽を出すに違いない。アケビの新芽を摘むのも楽しみだし、タケノコも自由に掘ってよいと言う御好意を数人の方に頂いている。

もう一つ嬉しいことは、大潮の際に磯に出るとビナと呼ばれている巻貝、岩に張りついている磯カキ、ちょっと小振りなカキだが殻を割って潮で洗って味わう。旨いのなんの、海岸に隣の果樹園でもいで来たレモンか酢ミカンを食べると、高級レストランの上を行く。夕方海岸でカキのオードブルを食べ、家に帰って夕食を味わう気分は最高の贅沢。桜が咲く頃になると、アサリも一段とおいしくなるそうだ。

だが、最高のサプライズは、大潮で引いた磯に長靴で入ってみたらワカメらしきものを発見。一株はえている岩から剥がしてみたら、メカブが付いた歴としたワカメ。慌てて三株ほど取り足し、家に持ち帰って熱湯に潜らせると濃い緑が鮮やかな緑に変色。醤油と木酢をかけ、カツオ節のトッピング。泣きたくなるほどに、旨い。メカブは、オーソドックスに叩いて酢醤油。これも、唸るほどに旨い。味噌汁も、吸い物も言うことなし。

極めつけは、コチュジャンに木酢と味醂を加えゴマ油をたらし撹拌。これをワカメに乗せ味わうと、途端に我が家が韓国になる。いやはや、本当に能古の島に引っ越して来てよかった。合掌。



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