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秋を迎えると、満を持したようにおいしいものが現れ、我々の舌はおろか心まで満喫させてくれる。そんな秋の味覚の代表選手をあげるとすれば、やはり松茸ではないだろうか。が、庶民的ものとなるとさつま芋が真っ先に思い起こされる。

よく、天高く馬肥ゆる秋なんてことを言い、人間が肥るさまを馬にすり替えて、ばくばくと蒸かし芋を召し上がる方がおられる。人間の体というか、自然界は本当にうまい具合に出来ていると思う。実りの秋のおいしいものをがんがんと食べて、体の中に脂肪を貯え、来たり来る厳しい寒さの冬を乗り切る準備を行うわけだ。が、昨今は、エアコンの発達により、室内は冬でもぬくぬくと暖かい。とすれば、寒さから身を守る脂肪燃焼が行われない。おいしいからといって、食べ過ぎには充分注意を致さなければならない。

てなことで、食欲の秋には食べ過ぎにならぬよう心を配りながら、旬の旨いものを楽しもうというのが、僕の重大なテーマなのである。秋のおいしいものの中で、キノコや果物は置いておき、身近な食べものといえば、やはりさつま芋、栗、カボチャが御三家ではないだろうか。よくさつま芋のことを、栗よりうまい十三里、なんてことを言う。九里と四里を足して十三里の駄洒落なのだが、随分と長い間使われている。ま、それだけ庶民的な食べものであった証しなのであろう。

栗とさつま芋の比較はさておいて、最近はさつま芋の種類がかなり増えた。沖縄や九州の一部にあったむらさき芋はもう皆さんが御存知で、アイスクリームやケーキにもかなり用いられている。むらさき芋の中には、ポリフェノールなる成分が入っていて、赤ワインと同じように体によいそうだ。されど、体に良い量を芋からだけで摂取するとなると、これはもうかなりの量を食べなければならぬから大変だ。ともあれ、持続して取り続けることが肝要らしい。ただ、お芋には食物繊維がたっぷり入っているらしく、こちらの効用はかなり期待できるとか……。

去年のことだっただろう、九州の友人が人参芋という、人参そっくりの色と香りのするさつま芋を送ってくれた。この人参芋、子供の頃おやつに食べていたのだが、東京に転居してからは口にすることが叶わなかった。だから、お芋を蒸かして二つに割ったときの、香りと色に接した時は思わず興奮してしまった。実に、五十五年ぶりの再会であったのである。




Kubota Tamami

さつま芋の種類も豊富だが、最近は色々なカボチャも出回っている。名前は忘れてしまったが、白い肌のものやオレンジ色のもの、はたまた出ベソのような形態のものもある。が、やっぱりカボチャは昔ながらのナタ割りと呼ばれている皮の固いやつがいい。包丁で切るにはことだが、コンクリートにでも叩きつければ簡単に割れるだろう。これを昔ながらに水と醤油と酒で煮付ける。不思議なことに、あれ程固かった皮が、火を通すことによって柔らかくなってしまう。僕は、どちらかというとポクポクのものが好みである。水っぽいカボチャは、ポタージュ風のスープにしてしまう。

檀流のスープの作り方は至って簡単、先ず賽の目にしたタマネギとニンニクをこんがりと炒める。そこに、適宜に切ったカボチャと水を加えコトコトと煮込む。カボチャに箸が通る頃あいを見極め、ミキサーにかける。さらさらになったところで、再び鍋に移しひと煮立ちさせる。沸々としたところに、牛乳を加え仄かな塩味をつける。牛乳の量だが、こればかりはそれぞれの好みにおまかせしよう。出来上がったスープに、刻みパセリをちらしたり、細ネギを小口に刻んでちらしたりすると、更に高級感を増すだろう。

人によっては、パルメザンチーズを加えたり、生クリームを足して更に濃厚にするのも良いだろう。面白いもので、カボチャスープは誰が作っても、ほとんど失敗がない。これはカボチャがこよなくスープに適しているという証明でもある。

そうだ、栗を忘れていた。一晩栗を水に浸し、栗の皮をぺティナイフで剥く。呉々も手の皮だけは剥かぬよう御用心。渋皮はそのままにして、水煮にする。火が通ったら、今度は砂糖水に浸すようにしながら、ゆっくりと弱火で煮付け、程よいところで火を止めそのまま一晩寝かせておく。シロップが染込み、かなり上等な菓子に変化する。ブランデーやラムを加えて仕上げると、思わず笑みがこぼれる程旨くなる。

いずれの素材も、炊き込み御飯に用いてもおいしい。松茸でもあれば、もう万々歳。秋の味覚を、どんな形でも良いから、積極的に味わおう。日本の四季の素晴らしさが、舌で分かるはずである。