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いよいよ、秋本番である。今年は、全国的に天候が不順だった為、夏なのに秋の気配を感じたり、妙に寒かったりした。

ところが、九月の半ばを過ぎた辺りから、本格的な秋の到来を肌で感じるようになって来た。先日、ゴルフをするために群馬県を訪れたのだが、澄み切った青い空と清々しい風が、季節のうつろいをより一層に体へ伝えてくれるのである。

もちろん、視覚的にも秋の到来はハッキリ分る。枯れ尾花の風に遊ぶさまも、今年は開花が早かったとは言え、残暑の最中のススキの風情とは確実に異なっている。やはり、空気の乾燥度が違うと、穂の色合いまで変わるものである。それに、飛び交う赤トンボの色まで、目に染みるような鮮やかな茜色だ。秋茜とは、よく命名したものと感心することしきり。

また、彼岸花というのは、みごとな程正確に秋の彼岸に花茎を地中から出し、赤い派手な花を咲かせるものだ。中には、白い花やクリーム色をした花も見かけるが、やはり赤が圧倒的に多いようだ。秋の彼岸に正確に花を咲かせるのは、恐らく日照時間を読み取るからなのであろうが、自然の力の偉大さに改めて敬服してしまうのだ。

ともあれ、秋は爽やかの一語に尽きる。彼岸花とほぼ時を同じくして、木犀の香りがどこからともなく漂って来る。特に夕暮れ時にその匂いに惑わされることが多いのだが、花の香というものは、往々にして日没前後により感じるのだが、これも自然の為せる神秘である。

面白いもので、夕暮れに花の香りを嗅ぐと妙にお腹が空いて来る。当然のことながらこの季節は何を食べてもおいしいから困る。特に、新米は香りが素晴らしく、糠味噌漬けと味噌汁だけがあれば事足りる。この新米の季節より少し前だが、収穫直前の田にはイナゴが飛来して、農家の方々は大変お困りのようである。やっぱり、イナゴも米のおいしい時期を見極めているのであろう。特に昨今は、有機栽培や無農薬低農薬が社会問題となっている。


お百姓さんは、我々に安全でおいしいお米をと、頑張っておられるのだ。となると、まさに稲の子であるイナゴが大発生することになる。このイナゴを放っておくと、簡単に三、四割の減収になってしまうとか。さりとて、我々にしてみたら、農薬は用いて欲しくない。さてどうしたらよいのであろう。

話は簡単、イナゴを食べればよいのである。僕は、小学生の頃、よくイナゴを食べていた。東北地方の方がイナゴの佃煮を土産に持って来て下さったのだが、これが香ばしくて大変においしかった。醤油と砂糖で甘辛く煮付けるのだが、虫を食べている先入観など全くなかったから、弟と競うように食べていた。無くなると、近所の田んぼに出かけイナゴを取り、これをお手伝いのおばちゃんに煮てもらっていた。

鍋にイナゴを生きたまま入れ、蓋をして火を付けて煎るようにして火を通し、醤油と砂糖と酒で味を整えていたようだ。恐らく、皆さんは気持ち悪いと仰るだろうが、お米を食べている昆虫である。清潔なものである。牛や豚や鶏が食べられるのに、どうして虫は駄目なのであろうか。イナゴには、良質なタンパク質、各種ビタミン、カルシューム、鉄分、ミネラルが豊富に入っているらしい。


Kubota Tamami

聞くところによると、二十一世紀は食料が欠乏していくとか。これを解消するのは、昆虫食に勝るものはないそうである。どんどんイナゴを食べなくっちゃー。考えてみたら、日本の一部ではスズメ蜂の子や、ザザ虫という川虫を食べているし、お隣の韓国では蚕のサナギをポリポリと食べているではないか。タイに行けばメンダーと呼ばれている、タガメの仲間が高級食材だし、アフリカやオーストラリアでは、芋虫のようなものを平気で食べていた。

僕もだいたいおつき合いで食したが、決して気持ち悪いものではなかった。要は、慣れとつまらない先入観を持たないことである。ただ、声を大にして叫びたいことは、イナゴは本当においしいのである。時折、デパートの物産品コーナーなどでイナゴは売られている。一度、ものは試しに、召し上がって頂きたいものである。僕は、来年こそ、捕虫網を持って田んぼに行き、刈り取り前の稲を守る為、イナゴをせっせと捕って、おいしい新米のおかずにしようと思う。是非、皆さんも御協力を…さすれば、農薬を使わずに済むのであります。


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